仕事は前もって計算し、細かい点までチェックする:オットー・シュテルンさんの教訓

アルケーを知りたい(323)  オットー・シュテルン Otto Stern_教訓:

今回の話題は(A)物理学。

▼オットー・シュテルンさんの教訓:仕事は前もって計算し、細かい点までチェックする

教訓の理由 フリッシュさんの本にあるエピソードから。フリッシュさんは26才から3年間、ハンブルグ大学でシュテルンさんのアシスタントを務めた。あるとき原子ビームの回折実験を行ったところ、3%の誤差が出た。これくらいの誤差は無視したくなるところ。だが、シュテルンさんは誤差1%で設計していたので、何かが間違っていると言って数日かけて装置を見直した。全部、正しい。最後に、シュテルンさんはフリッシュさんに、実験に使った金属円盤にスリットが400個あるか数え直すよう頼む。フリッシュさんが念を入れて二度数え直したところ、スリットの数は408あった。原因はスリット加工を外注した先のミスだった。これで2%の誤差の問題が解消した。

感想 道具や測定の精度の話。何かを確かめる実験のため、自分で設計して装置を作り、結果を確かめる、という工程はふつうの仕事にも応用できる。これは、やらねば。


オットー・シュテルン
  Otto Stern, 1888年2月17日 — 1969年8月17日

1888年、プロイセン王国のゾーラウ(現在、ポーランドのジョルィ)生まれ。ユダヤ人。

1912(24)ブレスラウ大学(現ポーランドのヴロツワフ大学)で博士。指導教員はオットー・ザックル先生(Otto Sackur, 1880年9月28日 – 1914年12月17日)。

1914(26)WWI。フランクフルト大学(1921年まで)。


1915(27)フランクフルト大学で教授資格。

1918(30)WWI終戦。

1919(31)実験物理学にシフト。原子線、分子線の実験方法を開発。

1921(33)ロストック大学で教授。


1922(34)ヴァルター・ゲルラッハさん(Walther Gerlach, 1889年8月1日– 1979年8月10日)とシュテルン=ゲルラッハの実験。電子にスピンがあることを示す実験。加熱・蒸発した銀粒子のビームが磁界中を通過すると2点に分かれる。

1923(35)ハンブルク大学で教授(物理化学)。

1930(42)オットー・フリッシュさん(26才)が助手になる。

1933(45)ナチス政権にハンブルク大学を追われ渡米、カーネギー工科大学で教授。フリッシュさんが渡英できるよう手配。

1939(51)WWII

1943(55)ノーベル物理学賞受賞(原子線法の開発と陽子の磁気モーメントの発見)。

1945(57)WWII終戦。カーネギー大学の研究所を引退。

カリフォルニア大学バークレー校名誉教授。

1969(81)カリフォルニア州 バークレーの映画館で死去。

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/Otto_Stern

オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。p.49

Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. p.41

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