多数派だからといって盲目的に従うな、自分で確かめよ:ガリレオ・ガリレイさんの教訓

アルケーを知りたい(304) ガリレオ・ガリレイ/Galileo Galilei_教訓

今回の話題は(A)物理学

▼ガリレイさんの教訓:多数派だからといって盲目的に従うな、自分で確かめよ。

教訓の理由:「近代科学の父」「天文学の父」が自分で実践したモット―。多数派に従わないため、敵と見なされて散々な目に遭うリスクがある。これもガリレオさんが自ら事例を示してくれた。

感想:外部環境の都合で意図しないのに、立場が危うくなる。損な生き方にならざるを得なかった。この点、リーゼ・マイトナーさんと似ている。


ガリレオ・ガリレイ
  Galileo Galilei, 1564年2月15日 - 1642年1月8日

1564年、トスカーナ大公国領ピサ生まれ。父は貴族で音楽家、呉服商。

1575(11)Vallombrosa Abbeyで学ぶ(1578年まで)。

1580(16)父の勧めでピサ大学入学。医学を学ぶ。

1582(18)トスカーナ宮廷の数学者 オスティリオ・リッチさんにユークリッド(Euclid, BC3世紀頃)やアルキメデス(Archimedes, BC3世紀頃)を学ぶ。

1585(21)ピサ大学退学。

1586(22)最初の科学論文『小天秤』を発表。

1589(25)ピサ大学で講師(数学)(1592年まで)。

1591(27)父が死去。家族の扶養や妹の持参金を負担。

1592(28)パドヴァ大学で教授(幾何学、数学、天文学)(1599年まで)。ジョルダーノ・ブルーノさん(Giordano Bruno, 1548年 - 1600年2月17日)が異端の疑いで逮捕。

1597(33)ケプラーさん(Johannes Kepler, 1571年12月27日 - 1630年11月15日)に手紙で「地動説を信じると」伝える。

1599(35)パドヴァ大学教授に再任。結婚。

1600(36)ブルーノさんが異端の罪で異端審問所により火あぶりの刑に処される。

1608(44)望遠鏡の発明を巡ってネーデルランド共和国で特許紛争が発生。

1609(45)自前で10倍の望遠鏡を製作、天体観測を開始。月が天体と判断。

1610(46)天体観測で木星の衛星を発見。『星界の報告』発表。

1613(49)『太陽黒点論』発表。

1615(51)地動説を巡る論争。

1616(52)ローマ教皇庁がコペルニクスさん(Nicolaus Copernicus, 1473年2月19日 - 1543年5月24日[)の地動説を禁ずる。第1回異端審問所審査。地動説を唱えてはならないと注意を受ける。

1632(68)『天文対話』発表。禁書目録入り(1822年解除)。

1633(69)第2回異端審問所審査。有罪となり終身刑(すぐトスカーナ大公国ローマ大使館での軟禁に減刑)。

1634(70) ガリレオを看病していた長女マリア・チェレステさん(Virginia Galilei, 1600年8月12日 - 1634年4月2日)が死去。

1637(73)片目を失明。太陽黒点を観察するなど過度な望遠鏡使用の結果か。

1638(74)両眼を失明。口頭筆記(担当は弟子のエヴァンジェリスタ・トリチェリさん、Evangelista Torricelli, 1608年10月15日 - 1647年10月25日)で『力学対話』を発表。


1642(78)トスカーナ大公国フィレンツェ郊外のアルチェトリで死去。

〔参考〕https://it.wikipedia.org/wiki/Galileo_Galilei

オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。p.20

Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. p.16

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