核兵器の削減と核廃絶に尽力(ジョセフ・ロートブラットさん):アルケーを知りたい(352)

今回の話題は(C)マンハッタン計画。

▼ジョセフ・ロートブラットさんは物理学者としてドイツの原爆開発を阻止するためマンハッタン計画に参加。途中でドイツにその能力がないと分かるとマンハッタン計画から降りる。それ以後も核兵器の問題に関心を持ち、1957(49)から1973(65)までパグウォッシュ会議の事務局長を務めた。

ジョセフ・ロートブラット
 Joseph Rotblat
, 1908年11月4日ワルシャワ - 2005年8月31日ロンドン ポーランド系ユダヤ人。1938(30)ワルシャワ大学で博士(物理学)。1939(31)渡英しチャドウィックさんの下でサイクロトロンの研究。ナチスドイツがポーランド侵攻、帰国できなくなる。病気のため脱出が遅れた奥さんは強制収容所で死去。チャドウィックさんらと共にドイツの脅威に対抗するためマンハッタン計画に参加。1945(37)ドイツに原爆製造能力がないことを知るとマンハッタン計画から離脱。リバプール大学で原子核物理学の講師。1946(38)イギリス国籍を取得。ポーランドとの二重国籍。1950(42)リバプール大学で博士(指導教員はチャドウィックさん)。1995(87)ノーベル平和賞受賞(国際政治における当面の核兵器の削減と、長期的な核廃絶のための努力に対して)。

フリッシュ:「ロトブラットは親切で、前向きで、常に他人の面倒を見て、人々を助けようとしていた。ロトブラットは後にパグウォッシュ会議の事務局長になり、今まで私が会った誰よりも、平和のために貢献している(p.173)」

パイエルス:パグウォッシュ会議の話題でロトブラットさんが登場する。「ノーベル賞受賞の物理学者、セシル・パウエルが最初の議長となり、ジョセフ・ロトブラットが事務局長となった。ロトブラットは1945年にロスアラモスを去って以来、核兵器に大きな関心を抱いていた。(中略)今ではパグウォッシュ会議が彼の第一の関心事になった。彼は1973年に事務局を引退するまでその任に就き、引退後もパグウォッシュに時間と勢力を注いでいる(p.421)」

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_Rotblat
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. 
ルドルフ・パイエルス著、松田文夫訳(2004)『渡り鳥ーパイエルスの物理学と家族の遍歴ー』吉岡書店。
Rudolf Peierls (1985), Bird of Passage --- Recollections of a Physicist. Princeton University Press.

ルドルフ・パイエルス Rudolf Peierls, 1907年6月5日 - 1995年9月19日
オットー・フリッシュ Otto Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日
リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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