プランAがダメならプランBだ、の成功例:MAUD委員会の教訓(16)

アルケーを知りたい(345) MAUD委員会(17)
今回の話題は(C)マンハッタン計画。

オックスフォード大学MAUD委員会
・リーダーはフランシス・サイモンさん。チームが全員、非イギリス人。多くがサイモンさんの門下生。
・チャーチル首相の科学顧問フレデリック・リンデマンさんがリクルートした人たち。
・サイモンさんの主導でガス拡散法でウラン235の分離に成功した。
・1940年12月、「実際の分離プラントのサイズの推定」という報告書を提出した。
・メンバーは6名。うち4名のプロフィールはMAUD委員会の教訓(7)で紹介済み。ここでは残りの2名を紹介する。()内は1940年時点の年齢。
・平均年齢は35才。


クルト・メンデルスゾーン
(32) Kurt Alfred Georg Mendelssohn, 1906年1月7日ベルリン - 1980年9月18日オックスフォード ベルリン大学で博士(指導教員はフランツ・サイモン先生=いとこ)。物理学者。フレデリック・リンデマンさんの勧誘で1933年からオックスフォード大学クラレンドン研究所。サイモンさんが開発する機器を取り扱う技術を持つ。


ハインツ・ロンドン
(33) Heinz London, 1907年11月7日ドイツのボン - 1970年8月3日 ミュンヘン大学で博士(指導教員はフリッツ・サイモン先生)。実験物理学者。フレデリック・リンデマンさんの勧誘で1933年からオックスフォード大学クラレンドン研究所。サイモンさんの助手。








フランシス・サイモン(47) Francis Simon, 1893 - 1956 リーダー。リンデマンさんの招待。→ アルケーを知りたい(335) 
ハインリッヒ・クーン(36) Heinrich Gerhard Kuhn, 1904 - 1994 リンデマンさんの招待。→ アルケーを知りたい(335) 
ニコラス・クルティ(32) Nicholas Kurti, 1908 - 1998 師匠のサイモンさんと一緒にオックスフォード大学へ。→ アルケーを知りたい(335) 
ヘンリー・シュール・アームズ(28) Henry Shull Arms, 1912 - 1972 アメリカ人。アイダホ大学で物理学を学ぶ。ローズ奨学金を得て1936年からオックスフォード大学に留学、学位取得。サイモンさんとクルティさんの下で低温物理学の研究。ガス拡散プラント建設のコスト計算を担当。No photo

フレデリック・リンデマン(54) Frederick Lindemann, 1886年4月5日 - 1957年7月3日
→ アルケーを知りたい(330) 

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