住まいを貸すという仲間の助け方:MAUD委員会の教訓(10)

アルケーを知りたい(338) MAUD委員会(10)
今回の話題は(C)マンハッタン計画。

感想 フリッシュさん(36)にとっては爆撃をかわしながらのイギリス生活。リバプールの下宿が爆撃のため住めなくなった(下宿屋を経営するおかみが廃業したから)。スーツケースを引きずりながら2時間かけて10km先にある友人の家に行く。それがモーリス・プライスさん(27)。

リバプール大学MAUD委員会のメンバー(2)
モーリス・プライス
 Maurice Pryce, 1913年1月24日ロンドン– 2003年7月24日 プリンストン大学で博士。リバプール大学の理論物理学のリーダー。数理物理学者。奥さんはマックス・ボルンさんの娘。フリッシュさんは下宿が爆撃されたため、プライスさんを頼る。「私の滞在に同意してくれたが、一家はもうすぐ引っ越すところだと言った。新しい赤ん坊が生まれたので、もっと静かな場所へ行こうとしていたのだ」(p.169)「何日かたってプライス一家が引っ越した時、プライス夫妻は私が家に留まることを認めてくれ、しかも掃除婦まで残しておいてくれた(p.169)





〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/MAUD_Committee
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. 
オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日
リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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