人が活動しやすいよう心配りするチャドウィックさん:MAUD委員会の教訓(11)

アルケーを知りたい(339) MAUD委員会(11) 
今回の話題は(C)マンハッタン計画。 

感想 バーミンガムから移ってきたばかりのフリッシュさん(36)は、チャドウィックさん(49)の研究室を利用。どこに何があるか分かるか分かるまで困らないよう、チャドウィックさんは教え子のホルトさん(22)をフリッシュさんの助手につける。こういうエピソードからチャドウィックさんの人柄が伝わってくる。

リバプール大学MAUD委員会(3)

ジョン・ライリー・ホルト John Riley Holt, 1918年2月15日チェシャー州ランコーン - 2009年1月6日 1941年、リバプール大学で博士(指導教員はチャドウィックさん※要確認)。実験物理学者。フリッシュさんがチャドウィックさんの研究室で仕事をしている時期、助手を務める。「その当時、私はエネルギッシュで動作が速く、ジョンはいつも私の後を追い回していたので、まもなくフリッシュ・アンド・チップスというあだ名が私たちにつけられた」(p.171)。 「二人で小さいクルジウスの分離管を組み立て結局、測定にかかるようなウラン235の分離は得られないことを見出した」(pp171-172) 

 

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/MAUD_Committee 
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。 
Otto Robert Frisch (1979), What little I remember. Cambridge University Press. 
オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日 
リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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