ライバルの存在が研究を加速する:MAUD委員会の教訓(14)

アルケーを知りたい(342) MAUD委員会(14)
今回の話題は(C)マンハッタン計画

リバプール大学MAUD委員会(6):ライバル
感想 リバプール大学のチームはウラン238と235を分離する熱拡散法を追求していた。フリッシュさんによれば「ドイツの科学者(中略)は、同位体分離をすでに行っていた。同位体分離の可能性は物理学者の共同体の中ではよく知られた事実だったのだ(p.158)」とある。フリッシュさんは分離手法としてクルジウスさんの分離管と式の応用を試みる。結果は「六フッ化フランはクルジウスの方法が効かない気体のひとつ(p.172)」となった。
今回は、熱拡散法の本家であり、実際に同位体の分離を進めていたライバル、ドイツの物理学者クルティスさんとその弟子のディッケルさんを見る。
フリッシュさんの本ではクルジウス、ウィキペディアではクルティスと表記されているので、別人かと思っていたら、同一人物だった!


クラウス・ポール・アルフレッド・クルティス
 Klaus Paul Alfred Clusius, 1903年3月19日ポーランドのブロツワフ - 1963年5月28日チューリヒ ドイツの物理化学者
1926(23)ヴロツワフ工科大学で博士(指導教員はアーノルト・オイケン先生)
1936(33)ミュンヘン大学物理化学研究所の所長。重水の実験
1938(35)弟子のゲルハルトディッケルと熱拡散同位体分離管を開発。ネオンの同位体分離に成功
1939(36)塩素同位体の分離に成功。六フッ化ウランを使い分離実験を開始
1942(40)重水の生産実験
1947(45)チューリッヒ大学で物理化学の教授(1963年まで)
1963(60)チューリヒで死去。

ゲルハルト・ディッケル Gerhard Dickel, 1913年10月28日ドイツのバイエルン - 2017年11月3日 No photo
1938(25)クルティスさんと共同でネオンの同位体分離に成功
1939(26)ミュンヘン大学で博士(指導教員はクルティスさん)。クルティスさんと共同で塩素同位体の分離に成功。
1957(44)ミュンヘン大学物理学研究所の所長
1978(65)引退。
2017(104)死去。

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/MAUD_Committee
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. 
オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日
リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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