問題解決には複数の案を試すとどれか当たる:MAUD委員会の教訓(7)

アルケーを知りたい(335) MAUD委員会(7)

今回の話題は(C)マンハッタン計画。

経緯 1940年、MAUD技術委員会ではウラン同位体の分離方法を追求していた。フリッシュさんが考えたクラジウス管を使う方法は無理と分かり、オックスフォード大学のサイモンさんによる多孔膜を使う方法の有効性を確認した。

感想 問題解決法はA案1つではなく、B案を持っておくと良いという話。それと共に、フリッシュさんの人との出会いの描き方が面白い。オックスフォードのくだりでは、サイモンさん、リンデマンさん、クルティさん、アームスさんが登場する。フリッシュさんがオックスフォードに行った目的は、ウランのサンプルの分析と、濃縮の程度の測定方法の開発だった。フリッシュさんはオックスフォードに滞在して彼らと知り合ったからだ。ケンブリッジやリバプールは爆撃の被害を受けていたのに対しオックスフォード滞在は「平和な幕間と新たな人々との友情を与えてくれた」(p.181)


フランツ・サイモン
/ フランシス・サイモン Franz Simon / Francis Simon
, 1893年7月2日ベルリン-1956年10月31日オックスフォード 

1893年、ベルリン生まれ。ユダヤ人。

ベルリン大学で博士(指導教員はヴァルター・ネルンスト先生)。低温物理学の研究グループで働く。低温物理学の物理学者。

1931(38)ブレスラウ大学で教授(物理化学)。

1933(40)反ユダヤ主義が勢いを増す。

1937年(44)ネルンスト研究室の卒業生フレデリック・リンデマンさん(51)がネルンストさん(67)と相談し、オックスフォード大学のクラレンドン研究所に招待。インペリアル・ケミカル・インダストリーズ(ICI)から助成金研究を受ける(1938年まで)。ドイツから自分の低温物理学の研究機器の持ち出しに成功。

1939(46)WWII。

1940(47)戦時研究としてレーダー開発に従事。MAUD技術委員会にオックスフォード大学の代表として参加。フリッシュさん によると「著名な物理学者で、ヒトラーの反セム主義の体制から、古い仲間のリンデマン教授によって救出されていた(p.179)」。フリッシュさん(36)は、サイモンさんの指導の下で数カ月間クラレンドン研究所で働く。フリッシュさんが考えていたクルジウスの分離管を使う方法ではウラン235の分離が得られないことが判明した。パイエルスさん(33)はそれに備え、サイモンさんと多孔質の金属膜中の拡散を利用するウラン同位体の分離方法を検討していた。この方法はうまくいった。協力者はニコラス・クルティさん、ハインリッヒ・ゲルハルト・クーンさん、シュル・アームスさん。

1943(50)マンハッタン計画に参加。ロスアラモス研究所。

1945(52)英国に帰国。オックスフォード大学で教授。低温研究を再開。

フレデリック・リンデマンさんの後任で実験哲学教授。

1956(63)オックスフォード大学物理学部クラレンドン研究所で所長。冠状動脈疾患のためオックスフォードで死去。


フレデリック・リンデマン 
Frederick Lindemann
, 1886年4月5日バーデンバーデン - 1957年7月3日オックスフォード ベルリン大学で博士(指導教員はヴァルター・ネルンスト先生)。


ハインリッヒ・クーン
 Heinrich Gerhard Kuhn
, 1904年3月10日ドイツのブレスラウ - 1994年8月25日オックスフォード ゲッティンゲン大学で博士(指導教員はジェイムス・フランク先生) リンデマンさんの招待で、オックスフォードのクラレンドン研究所に所属。



オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日ウィーン - 1979年9月22日ケンブリッジ

ルドルフ・パイエルス Rudolf Ernst Peierls, 1907年6月5日ベルリン - 1995年9月19日オックスフォード


コラス・クルティ
 Nicholas Kurti
, 1908年5月14日ブダペスト– 1998年11月24日 ベルリン大学で博士。「優れた料理法に対して偉大な情熱と知識を持つひとり者で、数年後に結婚しても、その情熱は変わらなかった」(p.181)



ヘンリー・シュール・アームス Henry Shull Arms, 1912年ワシントン州テコア-1972年 「きこりを思わせる体格のアームスの大きな手は、非常に緻密な頭脳に制御されて、どんな精巧な操作でもやってのけた」(p.181) No photo

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/MAUD_Committee

オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。

Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. 

オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日

リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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