親切、前向きで人々を助けようとするロトブラットさん:MAUD委員会の教訓(9)

アルケーを知りたい(337) MAUD委員会(9)
今回の話題は(C)マンハッタン計画

経緯 MAUD委員会の研究は4つの大学=リバプール大学、バーミンガム大学、ケンブリッジ大学、オックスフォード大学=が分割して担当した。研究資金は当初は大学が出し、後に政府が出した。リバプール大学が受け持つテーマは、熱拡散による同位体の分離だった。結果は、六フッ化フランはクルジウス管を使う方法は効かないと判明。また、爆弾に必要なウラン235の質量を8kgと算定した。チャドウィックさん(49)がリーダー。フリッシュさんもメンバー。

感想 今回は、リバプール大学MAUD委員会のメンバーからロトブラットさんとピカヴァンスさんをフューチャーした。共にフリッシュさんの本に出てくるので、描写を引用した。1940年のとき、フリッシュさんは36才。ロトブラットさんはフリッシュさんの32才年、ピカヴァンスさんは25才だ。このとき技術のパイオニアたちは20代、30代だ。

リバプール大学MAUD委員会のメンバー
ジョセフ・ロートブラット
 Joseph Rotblat
, 1908年11月4日ワルシャワ - 2005年8月31日ロンドン ワルシャワ大学で博士。物理学者。チャドウィックさんの下でサイクロトロン研究。ナチスドイツがポーランド侵攻、帰国できなくなる。フリッシュさんのリバプール滞在中、世話をする。「ロトブラットは親切で、前向きで、常に他人の面倒を見て、人々を助けようとしていた(p.173)」1995年、ノーベル平和賞受賞(国際政治における当面の核兵器の削減と、長期的な核廃絶のための努力に対して)。

トーマス・ジェラルド・ピカヴァンス Thomas Gerald Pickavance, 1915年10月19日ランカシャー - 1991年11月12日 リバプール大学卒業。原子核物理学者。リバプール大学でサイクロトロンの開発に取組む。粒子加速器の設計と使用の第一人者。フリッシュさんのリバプール滞在中、質量分析器の製作に携わった。「ゲーリー・ピッカバンスはたいへん愉快な性格の若者で、私たちはすぐに親友になった(p.172)」No Photo


〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/MAUD_Committee

オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。

Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press.
オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日

リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日



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