プロジェクトの進行を支える優秀なOS役(マイケル・ペリンさん):アルケーを知りたい(351)

今回の話題は(C)マンハッタン計画。

マイケル・ペリンさんは英国の化学会社I.C.I.の化学者。WWIIの時期、MAUD委員会やチューブ・アロイズに協力、後には軍事諜報機関で、さらに原子力発電事業で英国に尽くした人物

マイケル・ペリン
 Michael Willcox Perrin
, 1905年9月13日カナダのビクトリア– 1988年8月18日 トロント大学で化学を学ぶ。インペリアル・ケミカル・インダストリーズ(I.C.I.)に入社。1935年、 ポリエチレンの製造に必要な特許を取得。ウォレス・エイカースさん(→アルケーを知りたい_349)を支援するため昇進。1940-1941年、MAUD委員会に参加。チューブ・アロイズの主要委員会を運営。約60人のチューブアロイズの科学者がマンハッタン計画に参加するため渡米。この時の世話役。ペリンさん自身は英国政府のコーディネータとして英国に残る。軍事諜報機関とそのスパイネットワークを通じてドイツの原子爆弾開発状況を調査。クラウス・フックスさんによるスパイ行為で生じた被害の後処理を担当。

フリッシュ:ペリンさんが登場する状況は次だ。1950年、フリッシュさんはケンブリッジにいた。BBCから水素爆弾について短い話をして欲しいというリクエストが来た。高度な秘密兵器の話なので、許可が必要。そこで、まずパイエルスさんに連絡。忙しくてダメ。次にフックスさんに連絡した。しかし「都合が悪い」とのことでダメ。そこで「所轄担当のマイケル・ペランも許可を出せると知っていたので、ペランに接触してみた(p.249)」という流れでペリンさんが登場する。Perrinは訳によってペランだったりペリンだったりする。「ペランは、もし私が、録音の直前に事務所に来ることができれば、原稿を読み、何か削除すべきところがあれば指摘すると約束してくれた。(中略)ペランと話ができるまで、しばらく待たされたが、やがて現れたペランは、私の原稿をたいへん素早く読み、一、二か所の小さい変更を指示した後、私をBBCに活かせてくれた(p.249)」

パイエルス:「エイカースの補佐は同じくI.C.I.から来たマイケル・ペランでポリエチレンの開発に寄与した化学者だった。ペリンは行政的な仕事を効率良く、落ち度なく実行した(p.250)」

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Perrin
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. 
ルドルフ・パイエルス著、松田文夫訳(2004)『渡り鳥ーパイエルスの物理学と家族の遍歴ー』吉岡書店。
Rudolf Peierls (1985), Bird of Passage --- Recollections of a Physicist. Princeton University Press.

ルドルフ・パイエルス Rudolf Ernst Peierls, 1907年6月5日 - 1995年9月19日
オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日
リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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