20世紀の最高の問題解決者(ハンス・ベーテさん):アルケーを知りたい(364)

今回の話題は(C)マンハッタン計画。

▼ベーテさんを「20世紀の最高の問題解決者」と呼んだのは弟子のフリーマン・ダイソンさん(1923-2020、15才で微分方程式が科学で重要な事を知り独学した物理学者)。フリッシュさん、パイエルスさん、共にベーテさんを敬意をもって記述している。

フリッシュ本:フリッシュさんによるベーテさんのイラストがある。そのキャプションが次。「ハンス・ベーテ 理論物理学のあらゆる面に通じ、特に原子核への応用に優れたドイツ生まれの大家。1967年、ノーベル賞受賞(p.138)」

ベーテさんのキャラと頭脳明晰さを紹介したエピソードがこちら。「もうひとりの印象的な男はハンス・ベーテである。機敏なファインマンと比較すると、ベーテはもう少しドイツの教授のように学者ぶって見え、またそのように話した。実際、ベーテはドイツの教授の息子だった。しかし、このゆっくりとした話し方と、親しみやすい笑顔と、鳴り響く笑い声の背後には、恐るべき速度と底知れぬ力を持つ精神があった。あるパーティで、私は数学のパズルを出すことになり、自分のシャツをファインマンに賭ける用意をしたが、ベーテの方が最初に答えを出した(p.192)」

パイエルス本:ロスアラモスにやってきたパイエルスさんは旧知の仲間に出会う。そのときの感想とベーテさんの奥さんの話が次。「ロスアラモスのような異境の地で、私の今までの人生で出会った大勢の古い友達に再会したことは奇妙な感動だった。なかでも一番古い友人はハンス・ベーテだった。ベーテは結晶学で有名な物理学者ポール・エバルトの娘のローズ・エバルトと結婚していた。(中略)ローズはエネルギーに溢れ、人をまとめるのが上手な魅力的な女性で、子供が生まれる前まではロスアラモスの住宅係の責任者をしていた(p.288)」

パイエルスさんはベーテさんと学生時代に知り合った間柄である。「学生仲間のうちで最も重要な人物は何といってもハンス・ベーテだった。ベーテは私より一年上級であり、演習のクラスで成績をつける仕事をしていた。従って、最初のうち、彼は仲間というよりも先生だった。ベーテは背が高く、がっしりした体格で、よく響く深みのある声でゆっくり話した。そのせいか、発言には偉大な権威が感じられた。(中略)しかし、しばらくすると年齢の差や学年の差は問題でなくなり、私はベーテと親友になった(p.34)」

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Bethe
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. 
ルドルフ・パイエルス著、松田文夫訳(2004)『渡り鳥ーパイエルスの物理学と家族の遍歴ー』吉岡書店。
Rudolf Peierls (1985), Bird of Passage --- Recollections of a Physicist. Princeton University Press.
ルドルフ・パイエルス Rudolf Ernst Peierls, 1907年6月5日 - 1995年9月19日
オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日
リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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