プルトニウム239原爆の開発を進めた(エンリコ・フェルミさん):アルケーを知りたい(367)

今回の話題は(C)マンハッタン計画。

▼今回はエンリコ・フェルミさん(43)。イタリアの物理学者。ノーベル賞受賞のために国外に出たタイミングで奥さんとアメリカに脱出、マンハッタン計画に参加。フリッシュさん(40)の記述からは、フェルミさんの親しみやすい人柄が伝わってくる。パイエルスさん
(37)は、フェルミさんの「その場で対象を見積る能力」を印象的に記述している。

フリッシュ本:フェルミさんは1938年にストックホルムでノーベル賞を授賞した後、イタリアに帰らず夫妻で渡米、1939年にコロンビア大学で物理学教授になる。大きな実験装置があるシカゴ大に移り、1942年に世界初の原子炉シカゴ・パイル1を完成させる。「エンリコ・フェルミがロスアラモスにやって来たのはかなり遅く、1944年のことだったが、そのときの私たちの喜びは大きかった(p.205)」

マンハッタン計画の中軸コンプトンさんのバックアップを得ていたことが分かる箇所が次。「フェルミは敵側の外国人であったが、有名なアメリカの物理学者のアーサー・H・コンプトンがフェルミにあらゆる支援を与えた(p.207)」

フェルミさんの言葉が紹介されている箇所。フリッシュさんは人物の言葉を取り上げるセンスが抜群だ。「機密保護上の理由からフェルミは『ミスター・ファーマー』と呼ばれており、ボディガードが付けられた。フェルミは気晴らしのための長い散歩の途中で、ボディガードに好んで物理学を語った。『私のボディガルデは、いまや物理学にたいへん詳しくなったので、まもなくボディガルデのためのボディガルデが必要になると思われる』(p.208)」

同じくフェルミさんの研究スタイルを描いた箇所。「フェルミは決して、せかせかしているようには見えなかったが、たいへん系統的に仕事をしたので、実に多くのことを成し遂げた。(中略)日曜日には、いつも若い人々のグループと一緒に散歩にでかけた。若者たちは完全にフェルミに打ち解けていた。このようにリラックスした飾らないやり方が完璧に身についた人物に、私はいままで会ったことがなかった(pp.208-209)」

パイエルス本:パイエルスさんとフェルミさんは古い知り合い。「古い友達のなかにはローマで知り合ったエンリコとローラ・フェルミ夫妻、そしてエミリオ・セグレがいた。フェルミは旅行するときは、ヘンリー・ファーマーと名乗っていた(p.288)」

ロスアンゼルスでの急ごしらえの住宅事情の問題が分かる記述。妻帯者用の住宅は二階建てで、1階がパイエルスさん夫妻、その2階にフェルミ夫妻が住んでいたことが分かる。「家の暖房は石炭焚きの炉の熱風を利用していたが、温度調節器は一階と二階が共通であり、私のいたフラットでは一階の我が家の居間ある温度調節器で二階のフェルミ家の温度調節も行っていた。従って、我が家でパーティを開いたり薪を燃やしたりしていても高い温度に設定しておかないと、フェルミの部屋が凍えることになった(p.290)」

「プルトニウム爆弾の準備が整い、アラモゴルド近くの砂漠で最初の試験が行われることになった(p.304)」ときのフェルミさんのエピソード。実験の後「兵器が放出したエネルギーの大きさを誰もが知りたいと思った。近似的な答えを最初に出したのはフェルミだった」その方法が次だ。「フェルミは数枚の紙を用意して、爆発の衝撃波が到達したとき手を離した。紙が衝撃波によって運ばれた距離を測定し、その値から衝撃波の大きさを推定し、そこから解放されたエネルギーを推定した」「私はいつもフェルミを尊敬していたが、これを聞いてさらにその感を強くした(p.305)」

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/Enrico_Fermi
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. 
ルドルフ・パイエルス著、松田文夫訳(2004)『渡り鳥ーパイエルスの物理学と家族の遍歴ー』吉岡書店。
Rudolf Peierls (1985), Bird of Passage --- Recollections of a Physicist. Princeton University Press.
ルドルフ・パイエルス Rudolf Ernst Peierls, 1907年6月5日 - 1995年9月19日
オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日
リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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