課題だったウラン同位体の分離を成功させた人物(フランシス・サイモンさん):アルケーを知りたい(355)

今回の話題は(C)マンハッタン計画。

▼サイモンさんは、イギリスでウラン同位体の分離を成功させた立役者。今回は、フリッシュさんとパイエルスさんの本でサイモンさんに触れている面白い箇所を抜き出した。

フランツ・サイモン / フランシス・サイモン
 Franz Simon / Francis Simon
, 1893年7月2日ベルリン-1956年10月31日オックスフォード 

▼サイモンさんの年表は、アルケーを知りたい(335) MAUD委員会(7)
https://gakuryokuup.blogspot.com/2022/02/maud7.html

フリッシュ:フリッシュさんは、リバプール大学でチャドウィックさんの下で助手のジョン・ホルトさんとクルジウスの分離管で実験した結果、六フッ化ウランはクルジウスの方法が効かない気体であることを確認する。「幸いなことにパイエルスはその可能性を考慮に入れていて、フランツ・サイモンと共に、多孔膜中の拡散を利用する別の方法を考え出していた(p.172)」
フリッシュさんはオックスフォード大学クラレンドン研究所のサイモンさんの下で数か月働いた。
「フランツ・サイモンは著名な物理化学者で、ヒトラーの反セム主義の体制から、古い仲間のリンデマン教授(後にチャーウェル卿になった)によって救出されていた。サイモンは乾いたユーモアのセンスを物理と化学の両方の深い理解に結びつけ、パイエルスとともに、多孔質の金属膜中の拡散によるウランの同位体分離法を開発した。その方法は初期の原爆製造に実際に用いられ、また、戦後に建設された多くの原子力発電所の燃料となる濃縮ウラン製造に今でも用いられている(p.179)」

パイエルス:「同位体分離の実験研究を組織する人間が必要だった。(中略)私にはこの仕事に適切な人物の心当たりがあった。オックスフォードのフランツ(後にサー・フランシス)・サイモンである。サイモンはドイツ人の難民で熱力学と低温物理の専門家だった(p.239)」
「サイモンはベルリン育ちで、ベルリン子の典型である辛辣なユーモアの持ち主であり、第一次世界大戦ではドイツ軍に従軍した経験があった(pp.244-245)
物理学の深く詳しい知識を、健全で常識的な道具の作り方に結びつけるのがうまく、彼の仕事は不必要な複雑さに迷い込むことがなかった(p.245)」
「サイモンは暑さ寒さに敏感だった。彼の熱力学への傾倒に引っ掛けて、サイモンには熱力学的な状態や相に似て『上サイモン点』と『下サイモン点』で区切られる温度範囲がある、とからかわれていた。(中略)会議の席で寒さやすきま風に耐えられなくなると、彼は弁解しながら、いつも持参している帽子や襟巻を着込んでいた(p.245)」

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Simon
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. 
ルドルフ・パイエルス著、松田文夫訳(2004)『渡り鳥ーパイエルスの物理学と家族の遍歴ー』吉岡書店。
Rudolf Peierls (1985), Bird of Passage --- Recollections of a Physicist. Princeton University Press.

ルドルフ・パイエルス Rudolf Ernst Peierls, 1907年6月5日 - 1995年9月19日
オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日
リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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