何でも話してかまわないが、何も見せてはいけない(レズリー・グローブスさん):アルケーを知りたい(362)

今回の話題は(C)マンハッタン計画。

レズリー・グローブスさんはアメリカ陸軍の准将であり、マンハッタン計画の統括者であった人物。タイトルにした言葉は、グローブスさんがマンハッタン計画に携わる研究所の科学者に向けた指示。パイエルスさんが科学者たちと情報交換するとき「誰もこの指示の意味がよくわからず、結果として支障にはならなかった(パイエルス本のp.269)」という。

フリッシュ本:フリッシュさんがイギリスからアメリカに渡りグローブスさんの指示を受ける場面。文化が異なる軍人と科学者が出会う。「グローブスがようやく到着し、私たちの行く先を告げた。全員が同じ場所へ行くのではなかった。私はロスアラモスへ行くことになった。グローブスは、私たちの仕事に関する何事も、決して敵に知られることがあってはならないので、私たちには機密保護上の予防措置が課せられることを長々と話した(p.185)」

パイエルス本:以下は、パイエルスさんがグローブスさんの印象を述べた箇所。グローブスさんが備えているもの、備えていないものを描き出している。「レズリー・グローブス准将が責任者だった。私たちの最初の面会者は彼だった。グローブスはこの任務に必要なもの全て、すなわち、偉大なエネルギーと統率力と自信を兼ね備えていた。グローブスは現代の科学や研究の本質をあまり知らず、その知識のなさを示す意見や指示を何度も発して科学者たちを怒らせた。しかし、科学的な議論によってのみ成功の機会が評価できる今までに例を見ない性質の仕事に対して、進んで責任を取る彼の勇気は大きな尊敬を集めていたことも確かである(p.268)」

ロスアラモス研究所の所長にオッペンハイマーさんを選んだのはグローブスさんであることが分かる箇所が次だ。「グローブスオッペンハイマーを研究所の所長に選んだ。一見して、これは驚くべき指名に思われた。オッペンハイマーは実験家のチームを率いた経験もなければ、重要な行政責任を担った経験もない理論家であり、非常に学者的なタイプで、政策より詩作が似合っていた。しかし、この指名は偉大な成功を収めた(p.286)」

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/Leslie_Groves
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. 
ルドルフ・パイエルス著、松田文夫訳(2004)『渡り鳥ーパイエルスの物理学と家族の遍歴ー』吉岡書店。
Rudolf Peierls (1985), Bird of Passage --- Recollections of a Physicist. Princeton University Press.
ルドルフ・パイエルス Rudolf Ernst Peierls, 1907年6月5日 - 1995年9月19日
オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日
リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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