ドラゴン実験の名付け親(リチャード・ファインマンさん):アルケーを知りたい(365)

今回の話題は(C)マンハッタン計画。

▼ロスアラモス研究所でファインマンさん(25)は、若いながら上級物理学者からなる評議会のメンバーだった。研究所内で上がってくる提案を審査する立場だったので、フリッシュさん(36)の提案書も審査した。そのとき「眠っている竜の尻尾をくすぐるようなものだね ' like tickling the tail of a sleeping dragon '」と言って受理したことからフリッシュさんの実験は「ドラゴン実験 ' Dragon Experiment '」と呼ばれるようになった。ここではフリッシュさんとパイエルスさん(32)がファインマンさんを描いた箇所を見る。

フリッシュ本:フリッシュさんが青年ファインマンさんに一目も二目も置いているのが分かる。「メサの上には大勢の理論物理学者がいて、何人か非常に著名な人物もいた。なかでも最高に面白かったのは、まだたいへん若い男で、実際、大学の学生に過ぎなかったが、誰もが芽を出しつつある天才と認めるリチャード・ファインマンだった。ファインマンはきわめて理解が早く聡明で、いたずらのアイデアに溢れていた。(ここで紹介されるエピソードは略) 今日ファインマンは理論物理学者の間で誰でも知っている名前となり、その才気溢れる講義録は、大西洋の両側で一世代の物理の学生によって読み続けらている(p.191)」

パイエルス本:パイエルスさんはフリッシュさんと同じくファインマンさんを高く評価している。ファインマンさんの親しみやすい人物であったことが分かるエピソードが次。「リチャード・ファインマンは研究所で目立った人物のひとりだった。彼はプリンストンで博士論文を書き終えてすぐロスアラモスにやってきた。彼が偉大な能力の持ち主であることは直ちに町中に知れ渡った。確かに印象的だった理論物理学の能力のほか、他の面でもさまざまな力を発揮した。タイプライターや卓上計算機の修理も上手だったが、余りにも修理の依頼が多くなったので、ベーテはついにファインマンの理論物理学の方が重要だといって修理を禁ずる指令を出した(p.296)」

ファインマンさんのコミュニケーション能力の高さを紹介した部分が次。人物の描き方がパイエルスさんもフリッシュさんもとても上手い。訳者の松田さんはこの二人の物理学者の文章がとても好きなのだろう、と思う。「ファインマンは顔や手や腕を使って物事を説明する特別の能力があり、伝えたい話の仕組みをいつもユーモアに溢れた仕種で表現した。同時に、物理学の捉えにくい点を逸話で例えて聴衆に理解させるのも上手だった。(中略)場の理論に対する貢献と、ノーベル賞を受賞することになった極めて独創的なその発想と、偉大な解説者としての能力のために、彼の名前は物理学の世界でたいへん良く知られている(p.296)」

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Feynman
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. 
ルドルフ・パイエルス著、松田文夫訳(2004)『渡り鳥ーパイエルスの物理学と家族の遍歴ー』吉岡書店。
Rudolf Peierls (1985), Bird of Passage --- Recollections of a Physicist. Princeton University Press.
ルドルフ・パイエルス Rudolf Ernst Peierls, 1907年6月5日 - 1995年9月19日
オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日
リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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