二番目の事故の犠牲者になった(ルイス・スローティンさん):アルケーを知りたい(373)

今回の話題は(C)マンハッタン計画。

▼ロスアラモスでは、放射性物質を扱う過程で、1945年と46年に立て続けに二人の物理学者が臨界事故で死亡した。二人目の死者はルイス・スローティンさん。36才だった。スローティンさんはフリッシュさんの後継者、ドーリアンさんはフリッシュさんのチームメンバー。フリッシュさんのチームはたいへん危険な実験を行っていた。

ルイス・スローティン Louis Slotin, 1910年12月1日、カナダ生まれ – 1946年5月30日、ロスアラモスで死去。両親はソ連からの難民ユダヤ人。1936(26)キングスカレッジロンドンで博士(物理化学)。大学時代、アマチュアバンタム級ボクシング選手権で優勝。1944(34)マンハッタン計画に招聘、ロバート・バッチャーさん(アメリカの原子核物理学者)がリーダーを務める爆弾物理学グループに入る。1945(35)トリニティ実験用の爆弾の組み立てに成功。同年、ハリー・ドーリアンさんが臨界事故で死去。1946(36)事故死。

フリッシュ本:「原子爆弾の材料を用いる実験は、火災等の恐れは少なかったが、実際には、火災よりもっと危険なものだった。私がロスアラモスにいた間にも、反応が暴走して、男が一人死亡し、その後、私の後継者のルイス・スローティン(たいへん好人物で人気者だった)が二番目の事故の犠牲者になった(p.199)」

「ルイス・スローティンの場合は、反射材の下に置いた鉛筆が滑り落ちてから、わずか九日間の命だったと私は聞いた(p.200)

「私が車の運転を習ったのも、ロスアラモスでのことだった。私はハリー・ドーリアンから教習を受け始めた。後にドーリアンが前述の核の事故の犠牲になって倒れた時には、ルイス・スローティンが引き継いでくれた。スローティンもまた暴走した集合体からの放射線によって、後に死亡することになるのは奇妙な偶然の一致である(p.214)」

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/Louis_Slotin
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. 
ルドルフ・パイエルス著、松田文夫訳(2004)『渡り鳥ーパイエルスの物理学と家族の遍歴ー』吉岡書店。
Rudolf Peierls (1985), Bird of Passage --- Recollections of a Physicist. Princeton University Press.
ルドルフ・パイエルス Rudolf Ernst Peierls, 1907年6月5日 - 1995年9月19日
オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日
リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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