一流の専門家かつ国家プロジェクトの推進者(アーサー・コンプトンさん):アルケーを知りたい(374)

今回の話題は(C)マンハッタン計画。

▼フリッシュさんとパイエルスさんの本に出てくる物理学者にはいろんなタイプの人がいて興味が尽きない。アーサー・コンプトンさん(49)は、専門に加え国家プロジェクトを進める管理者として長じている(イギリス人ではチャドウィックさん)。まるで特別な秘密の技を持っているようだ。

フリッシュ本:フリッシュさんの本で、コンプトンさんは、フェルミさんのプロジェクトを後押しした有力者として次のように紹介されている。「フェルミは敵側の外国人であったが、有名なアメリカの物理学者アーサー・H・コンプトンがフェルミにあらゆる支援を与えた」
フェルミさんのプロジェクトは「グラファイトを用いる連鎖反応炉の建設の仕事」だった。「最高の緊急度で遂行された。特に、アメリカを参戦に導いた真珠湾以後は、その傾向が加速された」とある。
結果、「1942年12月2日に、シカゴのフットボール場であるスタッグ競技場の観客席の下にあるスカッシュのコートで、最初の原子核連鎖反応が達成された(p.207)」

パイエルス本:1941年、パイエルスさんはイギリスの調査団の一員として渡米する。このときコンプトンさんと会っている。「調査団は次にシカゴに行き、アーサー・H・コンプトンに面会した。コンプトンは量子論の発展において決定的に重要な『コンプトン効果』の発見者であり、原子エネルギー研究の計画立案に関係する長老のひとりだった(p.259)」

パイエルスさんは、調査の感想を次のようにコンプトンさんに伝えた。「今まで見たところでは誰ひとりとして最終的に作られる実際の兵器について考えていないように思われる(p.259)」

「ニューヨークへ戻ると、シカゴにちょっと立ち寄ってくれないかというコンプトンからの伝言が待っていた。コンプトンは高速中性子の研究と兵器の開発計画について議論を深めたいと考えていた。対話の終わりに私たちは、オッペンハイマーがこの仕事を担当するのが望ましい姿であるという結論に達した(pp.260-261)」

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/Arthur_Compton
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. 
ルドルフ・パイエルス著、松田文夫訳(2004)『渡り鳥ーパイエルスの物理学と家族の遍歴ー』吉岡書店。
Rudolf Peierls (1985), Bird of Passage --- Recollections of a Physicist. Princeton University Press.
ルドルフ・パイエルス Rudolf Ernst Peierls, 1907年6月5日 - 1995年9月19日
オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日
リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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