著名な化学者で爆発物の権威(ジョージ・キスチャコフスキーさん):アルケーを知りたい(375)

今回の話題は(C)マンハッタン計画。

▼今回のジョージ・キスチャコフスキーさん(43才)はロシア帝国時代のキエフに1900年に生まれた化学者。ロシア内戦のためドイツに逃れベルリン大学で博士。26才で米国に渡り、ハーバード大学で教員。WWIIの時期は国防研究委員会(NDRC)のメンバー。マンハッタン計画にはコンサルタントとして参加した。

フリッシュ本:トリニティ実験場でキスチャコフスキーさんと会話を交わした場面が出ている。「試験場には、百フィート[30m]ぐらいの高さの鉄骨の塔が、試験用の爆弾(実際の爆弾ではなかったので、流線形のケースはついていなかった)を運び上げるために建設されていた。ようやく、その爆弾が到着して、塔の頂上へ吊り上げられたとき、私は爆発物に関する第一人者のジョージ・キスチャコフスキーと塔の下に立っていた(p.203)」

「『爆発したとき、どれくらい離れていれば大丈夫なのかな』と私はキスチャコフスキーに聞いてみた。『ああ、たぶん十マイル[16km]くらいだ』とキスチャコフスキーは言った(p.203)」
この会話の原文は次。英語の参考書の例文みたいである。
'How far away',  I asked him 'would we have to be for safety in case it went off?'
'Oh', he said, 'Probably about ten miles.'  (p.163)

パイエルス本:「この少し前、著名な化学者で爆発物の権威でもあるジョージ・キスチャコフスキーは、原子爆弾の爆発による損害は比較的小さいものであると予測する報告書を書いた(p.265)」
この報告書を受け取ったケンブリッジ大学のG・I・テイラーさんは、流体力学の理論をもとに「爆風の強度は爆発の本来のエネルギーから期待される通りの大きさであることを示した。つまり、キスチャコフスキーは間違っていたのだった(p.265)」

「課題は、プルトニウムの殻の周囲を高性能爆薬で取り囲み、内向きの爆発波を発生させ、殻を押し潰し、緻密な塊にするというものだった。この『内向きの爆発装置』は原理は簡単だったが、極めて困難な問題を提出していた。(中略)問題の解決のために多くの実験的努力が必要であり、爆発物の専門家であるジョージ・キスチャコフスキーの部門が主にそれに当たった(p.300)」

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/George_Kistiakowsky
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. 
ルドルフ・パイエルス著、松田文夫訳(2004)『渡り鳥ーパイエルスの物理学と家族の遍歴ー』吉岡書店。
Rudolf Peierls (1985), Bird of Passage --- Recollections of a Physicist. Princeton University Press.
ルドルフ・パイエルス Rudolf Ernst Peierls, 1907年6月5日 - 1995年9月19日
オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日
リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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