原爆調査のため広島を訪れた物理学者(フィリップ・モリソンさん):アルケーを知りたい(377)

今回の話題は(C)マンハッタン計画。

フィリップ・モリソンさん(29)はアメリカの物理学者。マンハッタン計画には1943年から参加。ロスアラモスには1944-46年に参加、プルトニウム原爆の開発に携わる。フリッシュさん(40)はロスアラモス研究所が建設中の時からモリソンさんと出会っている。奇妙な会話が面白いので紹介する。パイエルスさん(37)がモリソンさんと原稿のやり取りをしたのは1945年のこと。モリソンさんの解説能力の高さが伝わるので紹介する。

フィリップ・モリソン Philip Morrison, 1915年11月7日、ニュージャージー州生まれ -  2005年4月22日、マサチューセッツ州で死去。1940年、カリフォルニア大学バークレー校で博士(指導教員はオッペンハイマー先生)。

フリッシュ本:フリッシュさんがロスアラモスでフィリップ・モリソンさんと交わした会話が出ている。「私は、たいへん大きい研究所の建物ができ上るのを見ていたことを覚えている。ロスアラモスで最初に友達になったフィリップ・モリソン(彼は歩くのにステッキを使っていたが、たいへん機転のきく面白い男だった)と傍らに立って、しばらくその建物を眺めていた。『あの建物は、どうやって暖房するつもりだろう』と私は言った。十二月の初めでどんどん寒くなっていたのに、どこにも暖房の設備が見えなかった。『ああ』とモリソンは言った。『あんなに大きい建物なのだから、多分、どこかの隅にちょっと火をつけるのじゃないかな。それでも建物自体は何も変わらないよ』フィリップ・モリソンは現在MITの天体物理学の教授である(p186)」

パイエルス本:「原子エネルギーの問題は当時たいへんな関心を集めており、私はペンギン科学ニュースという新シリーズの編集者から、この問題に関する原稿を集めて欲しいと依頼された。手近なところでロスアラモスから著者を選んだ結果、やがて優れた原稿がたくさん集まって来た(p.312)」

このシリーズは、一般の知識人向けだった。集まった原稿のうち、ひとつだけレベルが高すぎたので、パイエルスさんは当初の著者に断りを入れたうえで、別の著者に依頼する。「私が代わりを頼んだのはフィリップ・モリソンだった。彼の原稿は極めて優れた出来ばえだったが、彼は後に有名な科学の解説者になる男だったのである(p.312)」

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/Philip_Morrison
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. 
ルドルフ・パイエルス著、松田文夫訳(2004)『渡り鳥ーパイエルスの物理学と家族の遍歴ー』吉岡書店。
Rudolf Peierls (1985), Bird of Passage --- Recollections of a Physicist. Princeton University Press.
ルドルフ・パイエルス Rudolf Ernst Peierls, 1907年6月5日 - 1995年9月19日
オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日
リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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