失敗しても『オー・ディア』とつぶやいて終わる人柄(ブルーノ・ロッシさん):アルケーを知りたい(378)

今回の話題は(C)マンハッタン計画。

ブルーノ・ロッシさん(38)はイタリア生まれの物理学者。ロスアラモスでは、スイスの物理学者ハンス・H・スタウブさん
(次回紹介)と共に粒子検出器グループのリーダーとして原爆製造に必要な機器の開発を手がけた。

ブルーノ・ロッシ Bruno Rossi, 1905年4月13日、ヴェネツィア生まれ - 1993年11月21日、マサチューセッツ州で死去。1927(22)ボローニャ大学で物理学の「ラウレア」取得(指導教員は、クイリーノ・マジョラナ先生)。

フリッシュ本:フリッシュさんが、ロスアラモスで科学者グループの作り方を観察した中で、珍しい例として紹介した箇所。二人が率いたグループは"Detector Group"という(Wikipediaより)。「科学者たちは一ダースほどの仲間でグループを作り、ひとりのグループリーダーに率いられていたが、いくつか例外もあった。(中略)イタリア人のブルーノ・ロッシとスイス人のハンス・スタウブという二人のグループリーダーを持つ珍しい姿のグループもあった。ロッシもスタウブも二人ともお互いを尊敬し、敬意を抱いていたので、ともに他の者のボスになろうとしなかった。それで二人が共同のグループリーダーになることが合意された(pp.195-196)」

ロッシさんとスタウブさんの性格の違いを描いた箇所が次。「しかし、二人は性格がずいぶん異なっていた。ハンス・スタウブは少しでもうまく行かないことがあると、すぐ強いスイスなまりで『チーズス・クライスト(Cheesus Christ)』と怒鳴ったが、ロッシは最終的な破局を迎えてから、ようやく『オー・ディア』と、ぼそっと言うことがあるくらいだった(p.196)」

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/Bruno_Rossi
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. 
ルドルフ・パイエルス著、松田文夫訳(2004)『渡り鳥ーパイエルスの物理学と家族の遍歴ー』吉岡書店。
Rudolf Peierls (1985), Bird of Passage --- Recollections of a Physicist. Princeton University Press.
ルドルフ・パイエルス Rudolf Ernst Peierls, 1907年6月5日 - 1995年9月19日
オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日
リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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