"滑稽五行詩"を書いたりする原子核物理学者(ニコラス・ケマーさん):アルケーを知りたい(381)

今回の話題は(C)マンハッタン計画(の後)。

▼ケマーさんはWWIIの時期、ケンブリッジ大学で
チューブアロイズのメンバーだった原子核物理学者。フリッシュ本からもパイエルス本からも、どんな人柄なのか読み取れない。フリッシュ本にはケマーさんの滑稽五行詩が出てくる。しかしこの詩のどこが滑稽なのかが分からない。

ニコラス・ケマー Nicholas Kemmer、1911年7月12日、ロシアのサンクトペテルブルク生まれ - 1998年10月21日、イギリスのエジンバラで死去。チューリッヒ大学で原子核物理学の博士(指導教員はパウリさん)。1940(29)ケンブリッジ大学トリニティカレッジ、チューブアロイズのメンバー。イーゴン・ブレッチャーさんとノーマン・フェザーさんが発見した放射性物質の名称に「ネプツニウム」を提案。1944-46(33-36)チョークリバーで過ごす。1953-79(42-68)エジンバラ大学で数理物理学のテイト教授。

フリッシュ本:フリッシュさんはハーウェルに着任する前、カナダのチョークリバーにある原子エネルギー研究所に滞在する。たまたまこの時、「秘書の机の脇の書類キャビネットの中に、たいへん強いラジウム線源があるのが見つかって、放射線防護班を震え上がらせた(p.241)」。
このときチョークリバーにいたケマーさんが書いたというlimerick(滑稽五行詩)をフリッシュさんが引用している。

 A typist, proficient in Morse,
 Sat for weeks on a radium source
 Until a pink rash
 . _ . . _
 The rest of the story is coarse. (原本のp.194)

 「. _」 ばAで「. . _」はU。どこが滑稽なのだか不明だ。

パイエルス本でケマーさんが出てくる箇所は次だ。「ハルバンとコワルスキーは重水を使う研究が続けられるようにケンブリッジで実験設備を与えられた。二人の仕事は、チャドウィックの研究を助けたケンブリッジの物理学者たち、N・フェザー、イーゴン・ブレッチャー、そして理論家のN・ケマーらと密接な関係を保って進められた(p.242)」

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/Nicholas_Kemmer
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. 
ルドルフ・パイエルス著、松田文夫訳(2004)『渡り鳥ーパイエルスの物理学と家族の遍歴ー』吉岡書店。
Rudolf Peierls (1985), Bird of Passage --- Recollections of a Physicist. Princeton University Press.
ルドルフ・パイエルス Rudolf Ernst Peierls, 1907年6月5日 - 1995年9月19日
オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日
リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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