迷惑をかけたフリッシュさんに博士指導教員になってもらった(ケン・スミスさん):アルケーを知りたい(382)

今回の話題は(C)マンハッタン計画(の後)。

▼フリッシュさん(42)がハーウェルに到着し独身者用の宿舎に入ったときにスミスさん(22、似顔絵
は80歳を超えたときのもの)との出会いがある。
フリッシュさんの部屋の暖炉から大きな音楽の音がして眠りにつくどころではなくなる。その騒音の主が上の階の住人、スミスさんだった、というのが出会い。

ケン・スミス Kenneth Frederick Smith, 1924年2月12日、南ロンドン生まれ - 2012年3月30日、英国サセックスで死去。ケンブリッジ大学で博士(指導教員はオットー・フリッシュさん)。
フリッシュさんはケンさんに原子ビーム高周波分光法を紹介。これをもとに博士号を取得。キャベンディッシュ研究所で原子ビームグループの責任者。1962(38)原子ビームグループごとサセックス大学に移転。1988(64)サセックス大学を引退。

フリッシュ本:騒音を止めるための行動と騒音の原因が分かる記述が次。「寝巻きにガウンを羽織って、階段を駆けあがり、上の部屋のドアをノックした。そこにいたのはケン・スミスという若い物理学者で、ラウドスピーカーを暖炉の前に置き、部屋の壁を反響版として漬かっていた私たちの暖炉は同じ煙道を使っていたので、音楽の約半分が私の部屋に出現したのは当然だった(p.247)」

フリッシュさんは、スミスさんの騒音がきっかけでスミスさんの博士号の指導教員になるというご縁に発展する。「ケン・スミス非常に恐縮して、すぐに音を小さくした。まもなく私たちはよい友達になり、実際、彼が物理学の勉強を続けようと決心し、ケンブリッジで博士号をとる際には、私が指導教官になった。その後まもなく、ケン・スミスはサセックス大学の物理学部長になった(p.247)」

〔参考〕https://www.sussex.ac.uk/broadcast/read/13105
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. 
ルドルフ・パイエルス著、松田文夫訳(2004)『渡り鳥ーパイエルスの物理学と家族の遍歴ー』吉岡書店。
Rudolf Peierls (1985), Bird of Passage --- Recollections of a Physicist. Princeton University Press.
ルドルフ・パイエルス Rudolf Ernst Peierls, 1907年6月5日 - 1995年9月19日
オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日
リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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