オックスフォード大学を物理学の拠点に仕立てた(フレデリック・リンデマンさん):アルケーを知りたい(383)

今回の話題は(C)マンハッタン計画。

リンデマンさんは、ドイツ生まれのイギリスの物理学者でチャーチル首相の顧問だった人物。フリッシュ本とパイエルス本の両方に出てくる。フリッシュさんは大きく距離を取った。パイエルスさんは口論で終わった。

フレデリック・リンデマン Frederick Lindemann, 1886年4月5日、ドイツのバーデンバーデン生まれ - 1957年7月3日、オックスフォードで死去。ベルリン大学で博士(指導教員はヴァルター・ネルンスト先生)。物理学者。ウィンストン・チャーチルの科学顧問を務めた。MAUD委員会にも関係した。

フリッシュ本:MAUD委員会の仕事をしていたフリッシュさんがオックスフォードで働いた時の記述にリンデマン教授の名前が出てくる。「私が、ドイツ生まれの科学者のフランツ・サイモンの指導の下で数カ月働いたクラレンドン研究所のあるオックスフォードでは、殆ど[爆撃の]被害はなかった。フランツ・サイモンは著名な物理学者で、ヒトラーの反セム主義オン体制から、古い仲間のリンデマン教授(後にチャーウェル卿となった)によって救出されていた(p.179)」

フリッシュさんがケンブリッジ大学の教授職に就く前、リンデマンさんのコメントが次のように書かれている。このコメントに対してフリッシュさんは何も言っていない。「オックスフォードの物理学者のチャーウェル卿は『このフリッシュというのは何者だったかな。東側に行くところじゃないのか』と言った(p.251)」

パイエルス本:オックスフォード大学を物理学の拠点に仕立てたリンデマンさんの目論見と資金調達方法が端的に記述されているのが次。この中に出てくるI.C.I.(インペリアル化学工業)はチャドウィックさんに協力して六フッ化ウランを製造した会社である。さらにチューブアロイズのマネジメントも支えた。「1933年より前は、オックスフォードの物理学は強力ではなかった。その点を認識していたクラレンドン研究所長のリンデマン(後のチャーウェル卿)教授は、ドイツの第一級の科学者が大勢職を失ったとき、彼らの救出が同時に自分の研究所の強化の機会になると考えた。空きの教授職はなかったが、リンデマンは大化学会社のI.C.I.を説得して寄付を出させ、研究奨学基金を作り、自分で選別した難民を奨学生に指名した。こうして、サイモンやその親しい協力者のニコラス・クルティ(中略)がオックスフォードにやって来た。彼らはやがて全員が大学の正規の職に就いた。これにより、研究所は世界的な研究機関に一変した(p.245)」

アメリカでマンハッタン計画が進行中、チャーウェル卿は英国閣僚だったことが分かる箇所が次。「イギリス政府の閣僚であったチャーウェル卿がロスアラモス研究所を公式訪問したとき、オッペンハイマーは晩餐会を主催した(p.301)」

パイエルスさんもチャーウェル卿とはそりが合わなかったことが分かる。「チャーウェルは、科学者は政治に干渉すべきではないと言っていたが、長い間チャーチルの顧問であり、一時は閣僚でもあった物理学教授のそのような発言が奇妙に響くことに気づいていなかった。1951年のシカゴの原子核物理学に関する国際会議で、核兵器問題について議論されたとき、私はチャーウェルと口論した。(中略)その後、チャーウェルは二度と私を許してくれない(p.420)」

〔参考〕https://www.fujitsu.com/jp/group/fjm/business/mikata/column/madono5/013.html
https://en.wikipedia.org/wiki/Frederick_Lindemann,_1st_Viscount_Cherwell
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. 
ルドルフ・パイエルス著、松田文夫訳(2004)『渡り鳥ーパイエルスの物理学と家族の遍歴ー』吉岡書店。
Rudolf Peierls (1985), Bird of Passage --- Recollections of a Physicist. Princeton University Press.
ルドルフ・パイエルス Rudolf Ernst Peierls, 1907年6月5日 - 1995年9月19日
オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日
リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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