Cockburnと書いてコバーンと発音する(ロバート・コックバーンさん):アルケーを知りたい(380)

今回の話題は(C)マンハッタン計画(の後)。

▼ロスアラモスでの仕事を終えたフリッシュさんはカリフォルニアのスタウブさんの家で2週間過ごす。するとイギリスのハーウェルで始まっている新しい原子力研究機構(AERE)の一部門を率いる仕事のオファーが来る。引き受けることにしたフリッシュさんは、翌日、副官になる予定のコバーンさんと会うためにニューヨークのホテルに向かう。しかし、ホテルに着くと「コバーン博士という人はおりません We have no Dr Coburn. コックバーン博士という人ならおります There is a Dr Cockburn.」と言われる。フリッシュさんは「私が聞いた名前はコバーンだった」と問答を繰り返す。結局、コックバーンという名前は伝統的にコバーンと発音されることが分かり、無事に会える

ロバート・コックバーン 1909 年3月31日、英国のポーツマス生まれ - 1994年3月21日、英国のアルダーショット(ロンドン近郊)で死去。1939(30)ロンドン大学で博士。英国の物理学者。WWIIの間は、レーダー研究に従事。WWIIの後、原子力エネルギー研究機構フリッシュさんの副官を務める。1970-77(61-68)国立コンピューティングセンターの議長。

フリッシュ本:フリッシュさんの本にはコックバーンさんの顔写真が出ている。そのキャプションのコックバーンさんの紹介が次。わざわざコバーンと発音される、というカッコ書きがついているのは、ニューヨークのホテルでの出来事があったから。「ロバート・コックバーン(コバーンと発音される)レーダーの重要な応用技術の発明者。その後、ハーウェルの原子力エネルギー研究機構における著者の副官となる。後にファンボローの王立航空機協会の会長。1960年にナイトに叙せられる(p.240)」

フリッシュさんがコックバーンさんと出会ったときの第一印象が次だ。「ロバート・コックバーンの活気のある外向きな態度は魅力的で、私はたちまち彼を気に入り、その後、ハーウェルで一緒に仕事を始めた時には、良い友達になっていた(p.240)」

フリッシュさんのハーウェルでの過ごし方は次だ。「たいていは事務所で、連鎖反応炉のゆらぎの計算を続け、そのような誤差の原因となるゆらぎが存在しても、測定が正確に行えるような方法を考えて時を過ごしていた」それで、フリッシュさんはコックバーンさんに「職員の雇用や組織作りなどの仕事を全部まかせていることを謝る」。するとコックバーンさんはフリッシュさんに「何はともあれ一年に二つのグッドアイデアを思いついてくれれば、給料分は稼いだことになりますよ」と言って安心させてくれた(p.245)。

フリッシュさんとコックバーンさんの相性の良さが伝わる箇所が次だ。「コックバーンは私の才能を評価してくれていたと思う。あるときコックバーンが『一日中、レンガの壁に頭をぶつけていたとき、フリッシュ先輩がやってきてあたりを嗅ぎ回り、裏口を見つけ出してくれたんだ』と言ったのを覚えている。これは今までに私に寄せられたお世辞のなかでも、最大のものであったと思う(p.245)」

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Cockburn_(physicist)
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. 
ルドルフ・パイエルス著、松田文夫訳(2004)『渡り鳥ーパイエルスの物理学と家族の遍歴ー』吉岡書店。
Rudolf Peierls (1985), Bird of Passage --- Recollections of a Physicist. Princeton University Press.
ルドルフ・パイエルス Rudolf Ernst Peierls, 1907年6月5日 - 1995年9月19日
オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日
リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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