マンハッタン計画にコンサルタントとして協力した(I・I・ラビさん):アルケーを知りたい(368)

今回の話題は(C)マンハッタン計画。

▼今回は、イジドール・イザーク・ラビさん(45)。パイエルスさんの本では「そのときはレーダーの仕事をしていた」とあるように戦時研究のメインはそちらで、マンハッタン計画ではロスアラモスに常駐するほどの比重はかけてなかった。WWIIの真っ只中、1944年に核磁気共鳴の発見の功績でノーベル物理学賞を受賞した。後年、ラビさんがMRIで自分の体を見たとき「自分の仕事がこれに行きつくとは思わなかった」と言ったという。

パイエルス本:パイエルスさんは博士学生だった1929年の夏の一学期間、チューリッヒのパウリさんの下で修行する。このときパウリさんを説得して湖へボート乗りに出かけたりした。このとき、オッペンハイマーさん、ラビさんも同行。著書に3人が写った写真が出ている。そのキャプションは「チューリッヒ湖で。オッペンハイマーラビパウリら。1929年(p.66)」

ロスアラモスの施設の計画段階からラビさんはグローブスさんと意見交換していた。施設が完成してからも現地に足を運んでいた。「ライプチヒ以来の知己であるI・I・ラビもときどきこの場所に来て、慈父のような目を注いでいた。ラビは物理学の老賢人であり、後にノーベル賞を受賞することになる原子ビーム研究を完成し、そのときはレーダーの仕事をしていた。ラビは重大事に対しては非常に寛容だったが、小額の金にこだわるという愛すべき癖があった(p.289)」

〔参考〕https://en.wikipedia.org/wiki/Isidor_Isaac_Rabi
オットー・フリッシュ著、松田文夫訳(2003)『何と少ししか覚えていないことだろう』吉岡書店。
Otto Robert Frisch (1979),  What little I remember. Cambridge University Press. 
ルドルフ・パイエルス著、松田文夫訳(2004)『渡り鳥ーパイエルスの物理学と家族の遍歴ー』吉岡書店。
Rudolf Peierls (1985), Bird of Passage --- Recollections of a Physicist. Princeton University Press.
ルドルフ・パイエルス Rudolf Ernst Peierls, 1907年6月5日 - 1995年9月19日
オットー・ロベルト・フリッシュ Otto Robert Frisch, 1904年10月1日 - 1979年9月22日
リーゼ・マイトナー Lise Meitner, 1878年11月7日 - 1968年10月27日

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