真空にした2つの半球は馬で引いても離れない~ゲーリケのデモ:アルケーを知りたい(531)

今回の話題は(A)物理学。

▼今回のゲーリケは、物理学者にして三十年戦争で壊滅したマクデブルグを再建した人物。ゲーリケが生まれた町マクデブルグはプロテスタントだったためカトリック軍の攻撃に遭い1631年に敗北。そのさいの歴史的な「マクデブルクの略奪」で町は壊滅。29歳のゲーリケは家と町の再建復興に明け暮れた。

▼ゲーリケのすごいところは、政治的交渉に長けた物理学者という二枚腰であること。家と町の再建のためまずビール醸造業で経済基盤を作り、次にマグデブルグ市の代表としてヨーロッパ各地の要人や組織と交渉を重ねた。その時に、交渉が有利に進むよう先進的な科学的知見を披露した。

町の名前をアピールするマグデブルク半球と名付けた銅製の半球を二つ合わせて空気を抜き、これを馬で引っ張っても離れないという真空の存在と力を見せるデモは、政治的有力者たちの前で行ったものだ。
マグデブルグ、やるじゃないかと認識させる狙い。こうした物理のデモが交渉相手の高官やイエズス会からの好印象を引き出した。

▼オットー・フォン・ゲーリケ Otto von Guericke 1602 - 1686 ドイツ・マグデブルグの貴族、物理学者、政治家。
【時代環境】1618~1648、三十年戦争
【教育】家庭教師。ライプツィヒ大学、ヘルムシュテット大学、イエナ大学、ライデン大学。イギリスとフランスにも留学。法学、数学、物理学、軍事工学を学ぶ。
【職業】貴族。マクデブルク市会議員、市長。
【業績】1631、三十年戦争で破壊されたマグデブルグの再建開始。1646~78、マクデブルグ市長。
1650、真空ポンプを発明
1661、気圧計で気象予測。静電気の研究。
1663、ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムの前でデモ:銅製の半球を組み合わせ、真空ポンプで排気すると、12頭の馬で引っ張っても離れない実験。
1993、ゲーリケの名を冠したオットー・フォン・ゲーリケ大学マグデブルグが設立された。

【ネットワーク】
アリストテレス Aristotelēs BC384 - 322 「自然は真空を嫌う」と言ったギリシアの哲学者。トリチェリに続きゲーリケも人工的に真空を創り出した。

エヴァンジェリスタ・トリチェリ Evangelista Torricelli 1608 - 1647 イタリアの物理学者。1643にトリチェリの真空を創り出した。ゲーリケはこの先行研究を知っていた。

【似顔絵サロン】















〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/Otto_von_Guericke


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