1814、太陽スペクトルの黒線~フラウンホーファー(独):アルケーを知りたい(595)

今回は物理学。

太陽光の可視光スペクトルの中に出てくる黒線がフラウンホーファー線
星から出る光のフラウンホーファー線から分かるのは2点。
一点目、星と太陽光のフラウンホーファー線のズレから、星と太陽の距離が推定できる
二点目、星がどんな元素から組成されているのかが分かる

▼フラウンホーファーは「光学理論の研究」と「精密測定装置の開発」と「企業経営」でトリプル成果を挙げたスーパースター。

▼経緯。
1802年、イギリスのウォラストンが太陽光のスペクトルから黒線を発見。
ウォラストンとは別に、フラウンホーファーは自分で開発した機器で太陽光スペクトルから570本以上の暗線を特定した。主要な線にはA~Kの記号を、弱い線には別の記号をつけて系統立てた。
1860年、キルヒホフブンゼンが、フラウンホーファー線は、太陽の元素や地球の酸素によって吸収されたスペクトルであると報告。

フラウンホーファー Joseph von Fraunhofer 1787 - 1826 
ドイツの光学機器製作者、物理学者
【人物】父親はバイエルンのガラス鏡職人。
【教育】11才で孤児となりミュンヘンの鏡製造業者の下で見習い修行。バイエルン知事のウッツシュナイダーの応援と独学で知識獲得。1822(35)エアランゲン大学で名誉博士
【職業】技術者・経営者
1806(19) ウッツシュナイダーの経営する数学機械研究所でガラス研磨を担当
1809(22)研究所で機械部門のリーダー
1807(24)ガラス製造の助手も兼任
1809(26)研究所の経営にも参画し名称が「ウッツシュナイダー・ライヘンバッハ・フラウンホーファー光学研究所」に改名される
1811(28)工場全体の統括者

【業績】
1813(31)プリズム分光器を製作
1814(32)太陽スペクトルから約700本の暗線を発見
1817(35)太陽スペクトルの暗線を基準にガラスの屈折率を測定
1821(39)回折格子を開発

【同じ年生まれの人】
ダゲール Louis Jacques Mandé Daguerre 1787 - 1851 フランスの画家、写真家。銀塩写真を発明。史上初めて実用的な写真技術を完成した人。

【ネットワーク】
ウォラストン William Hyde Wollaston 1766 - 1828 イギリスの化学者、物理学者、天文学者。プラチナの精製で財を成した。 ▼ウォラストンは1802(36)に 太陽光のスペクトルから黒線(のちのフラウンホーファー線)を発見した。

ガウス Johann Carl Friedrich Gauß 1777 - 1855 ドイツの数学者・天文学者・物理学者。▼フラウンホーファーは1821(43)にバイエルン科学アカデミーの特別会員になり、ガウスとの知己を得た。

ブンゼン Robert Wilhelm Bunsen 1811 - 1899 ドイツの化学者。ブンゼン・バーナーの開発者。1859(48)キルヒホフと分光学の研究を開始、1860(49)セシウム、1861(50)ルビジウムを発見。▼ブンゼンは1860(49)にキルヒホッフと共にフラウンホーファー線が元素による吸収スペクトルであることを解明。

キルヒホフ Gustav Robert Kirchhoff 1824 - 1887 ドイツの物理学者。ブンゼンと共に分光学研究のパイオニア。 ▼キルヒホフは1860(36)にフラウンホーファー線が、元素による吸収スペクトルであることを解明。分光学的方法で太陽の元素を特定。

フラウンホーファー研究機構 Fraunhofer-Gesellschaft ドイツ全土に75の研究所・研究ユニットを持つ欧州最大の応用研究機関。▼1949年3月26日、産業界、学界、バイエルン州政府、ドイツ連邦共和国政府によってミュンヘンで創設。

【似顔絵サロン】
























〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_von_Fraunhofer

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