1842、有機化合物の分離~ジェラール(仏):アルケーを知りたい(647)

今回は化学。

有機化合物の分離。有機化合物の溶解性は水と有機溶媒で異なる。この性質を使って分離すること。

▼ジェラールのここが面白い:父親とそりが合わず、家業の白煙製造から抜け出す。仕事を紹介してくれた恩師に対して理論の違いで対立する。日本語版Wikipediaによると「年長者への敬意を欠いて自分の方が優れていると主張し、また批判が容赦ないものであった」とある。化学者として高い能力、考えが違うと低くなる敬意。

ジェラール Charles Frédéric Gerhardt 1816年8月21日 - 1856年8月19日 
フランスの化学者
【人物】父親は白鉛の製造業者。
【教育】1831(15) カールスルーエ理工科学校を経て1833(17)ライプツィヒの商業学校で化学を学ぶ。
【職業】1834-36(18-20) 父親の手伝い。
1836-37(20-21) リービッヒの助手。
1838-40(22-24) リービッヒの紹介でアンドレ・デュマの助手。
1841-51(25-35) デュマの紹介でモンペリエ大学で化学教授。
1855(39) ストラスブール大学で教授。

【業績】1839(23) 複分解反応に関する「残余の理論」を提案。
1842(26) 有機化合物の分離
1843(27) 化合物の分類法を提唱。

【ネットワーク】
デュマ Jean Baptiste André Dumas 1800年7月14日 - 1884年4月10日 フランスの化学者。原子量を決定。▼ジェラールが助手を務めた。後年、仲たがいしてしまう。

ウィリアムソン Alexander William Williamson 1824年5月1日 - 1904年5月6日 イギリスの化学者。 1863年、伊藤博文ら長州ファイブの留学(ロンドン大学の聴講生)を夫妻で支えた人物。▼1853(43) ウィリアムソンが予想していたカルボン酸無水物の合成に成功。

カニッツァーロ Stanislao Cannizzaro 1826年7月13日-1910年5月10日 イタリアの有機化学者。アヴォガドロの再評価に貢献した。▼ジェラールの分子量計算の間違いを修正した。

【似顔絵サロン】
















〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Fr%C3%A9d%C3%A9ric_Gerhardt

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