1844、ルテニウム~クラウス(露):アルケーを知りたい(651)

今回は化学。

ルテニウム。ruthenium。原子番号44、元素記号 Ru。白金族の元素。貴金属。用途は電気の接点や触媒。名前の由来は、サンプルが見つかったルス地域のラテン語名ルテニアに因む。

▼経緯。
1827年、ベルセリウスオサンが共同で新物質(微量のルテニウム)を発見。後で発見を取り下げた。
1840年、クラウスがサンクトペテルブルク鉱山から白金鉱石を入手、分析を開始。
1844年、クラウスがカザン大学でプラチナ残留物からルテニウムの単離に成功。ルテニウムと命名。サンプルを高名なベルセリウスに送る。ベルセリウスによってクラウスの発見がヨーロッパ中に知れ渡る。

▼クラウスのここが面白い:この時期の化学者の中には自分が相手をしている物質を液体だろうが固体だろうが毒性があろうが、嗅いだり舐めたり指を漬けたりして確認しないと気が済まない人がいる。クラウスもそのタイプ。ルテニウム化合物を扱っているとき、舐めたせいで口を火傷してしまう。ガスを吸い込んで中毒になったりする。「賢い」と「命知らず」のハイブリッド。

クラウス Karl Ernst Claus 1796年1月23日 - 1864年3月24日 
ロシアの化学者 
【人物】父親は画家。4才で父親が死去、6才で母親が死去。
【教育と職業】正式な教育を受けないまま、1810(14) サンクトペテルブルクの薬局で助手。
1817(21) ロシアで最年少の薬剤師。
1826(30) 薬局を開業。
1827(31) カザン大学エーフェルスマン教授の助手としてウラル地方、ヴォルガ地域の植物を調査旅行。
1928(32) タルトゥ大学に入学。
1831(35) タルトゥ大学で化学研究室の助手。
1837(41) タルトゥ大学で博士(植物由来の化学物質の研究)。
【職業】1837(41) カザン大学の化学実験室で室長。
1839(43) 鉱水からの化学物質の分離の研究で准教授。
1844(48)  カザン大学で教授。
1852-64(56-68) タルトゥ大学で薬学教授。
【業績】1844(48) ルテニウムを発見。賞金を受け取り経済的に潤う

【ネットワーク】
ベルセリウス Jöns Jacob Berzelius 1779年8月20日 - 1848年8月7日 スウェーデンの化学者・医師。アルファベットの元素記号を考案。ヨーロッパで化学の第一人者。▼オサンとの共同研究でルテニウムの発見に近づくも、途中で放棄。クラウスがオサンの手法を応用した結果、ルテニウムを発見。

エーフェルスマン Eduard Friedrich von Eversmann 1794年1月23日 - 1860年4月26日 ドイツの生物学者・探検家。カザン大学で動物学と植物学の正教授。▼クラウスが助手として仕えた先生。

オサン Gottfried Wilhelm Osann 1796年10月26日 - 1866年8月10日 ドイツの化学者・物理学者。▼ 1828(32) ルテニウムを発見、命名。しかし微量だったため発見を取り消す。

【似顔絵サロン】




















〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/Karl_Ernst_Claus

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