1879、シュテファンの法則~シュテファン(墺):アルケーを知りたい(684)

今回は物理学。

シュテファンの法則:黒体を熱したときに出てくる電磁波のエネルギーは温度の4乗に比例する。黒体は全ての電磁波を吸収する理想的存在。

▼シュテファンのここが面白い:シュテファンが法則を導き出した経緯がWikipdiaを見ると二つあるのが面白い。一つは、英語版Wikipediaのシュテファンの解説に出てくる「デュロンとプティの測定値から法則を導き出した」説。もう一つは日本語版Wikipediaのボルツマンの解説に出てくる「実験的に明らかにした」説。過去の経緯を見ていると、時々こういう違いがある。これが面白い。

シュテファン Joseph Stefan 1835年 3月24日 - 1893年 1月7日 オーストリアの物理学者
【人物】父親は製粉工場の労働者。
【教育】小学校時代から才能が目立ったので進学。1858(23) ウィーン大学で教授資格を取得。指導教員はエッティングスハウゼン
【職業】1858(23) ウィーン大学で物理学の教員。
1866(31) ウィーン大学物理学研究所で所長。
【業績】1866(31) ボルツマンの博士指導。
1867(32) ボルツマンを助手にする。
1879(44) シュテファンの法則を発表。
1884(49) ボルツマンがシュテファンの法則を理論的に証明し、シュテファン=ボルツマンの法則となる。

【ネットワーク】
デュロン Pierre Louis Dulong 1785年2月12日 - 1838年7月19日 フランスの化学者・物理学者。ルイ・テナールの弟子。1819(34)金属の比熱容量に関するデュロン・プティの法則。▼シュテファンはデュロンとプティのデータを元にシュテファンの法則を導出。

プティ Alexis Thérèse Petit 1791年10月2日 - 1820年6月21日 フランスの物理学者。1819(28)金属の比熱容量に関するデュロン・プティの法則。▼シュテファンはデュロンとプティのデータを元にシュテファンの法則を導出。

エッティングスハウゼン Andreas Freiherr von Ettingshausen 1796年11月25日 - 1878年5月25日 オーストリアの数学者・物理学者。▼ウィーン大学でシュテファンの師匠。

ボルツマン Ludwig Eduard Boltzmann 1844年2月20日 - 1906年9月5日 オーストリアの物理学者。ボルツマン定数。▼ボルツマンはシュテファンの弟子。1884年、シュテファンの法則を拡張してシュテファン-ボルツマンの法則を完成。

【似顔絵サロン】
































〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/Josef_Stefan

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