1880、インディゴの合成~バイヤー(独):アルケーを知りたい(685)
今回は化学。
▼バイヤーのここが面白い:博士号取得を目指していた時期に指導教員をチェンジしたこと。チェンジした理由が口論。指導教員を替えたりすると、ろくなことにならない気がするんだけど。しかも口論だから、下手するととてもまずい状況になるんだけど。でもバイヤーはピンチをうまく切り抜けた好例を作った。
▼バイヤー Johann Friedrich Wilhelm Adolf von Baeyer 1835年10月31日 - 1917年8月20日 ドイツの化学者
【人物】父親は測地学者、プロイセン王立陸軍中将。
【教育】1856(21) ハイデルベルク大学でブンゼンに学ぶ。ブンゼンと口論。
1858(23) ベルリン大学で博士。指導教員はケクレ。
【職業】
1858-60(23-25) ゲント大学に移ったケクレについて行く。
1860(25) 王立貿易アカデミーで講師。
1871(36) ストラスブール大学で教授。
1875(40) ミュンヘン大学でリービッヒの後任の化学教授。
【業績】1865(30) インディゴの研究を開始。
1880(45) インディゴの合成に成功。
1881(46) デービー・メダル受賞。
1883(48) インディゴの構造を報告。
1897(62) 化学工業会社BASFが工業的合成法を開発。
1905(70) ノーベル化学賞受賞(有機染料およびヒドロ芳香族化合物の研究)
1913(78) インディゴは天然から合成に置換。
【ネットワーク】
ブンゼン Robert Bunsen 1811年3月30日 - 1899年8月16日 ドイツの化学者。ブンゼンバーナーで名高い。光化学のパイオニア。▼バイヤー(21) は博士指導教員のブンゼン(45)と決裂。
ケクレ Friedrich August Kekulé von Stradonitz 1829年9月7日 - 1896年7月13日 ドイツの有機化学者。 1865(36) ベンゼンの環状構造式を提案。▼バイヤー(21) はケクレ(29)に指導教員になってもらう。気が合ったようで、ケクレが大学を変わるときについていって助手を務めた。
【似顔絵サロン】
〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/Adolf_von_Baeyer
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