1895、X線~レントゲン(独):アルケーを知りたい(703)
今回は物理学。
▼レントゲンのここが面白い:学長になっても実験を止めなかった。学長になった次の年、放電管の実験のとき、ガラスの厚みや真空度が異なる放電管を手に入る限りの集めて短期集中で試した徹底ぶりが面白い。レーナルト管もその一つ。レーナルトはレントゲンの論文に自分への謝辞がなかったのでめちゃ怒ったという話が残っている。なぜレントゲンは論文にレーナルトの名前を出さなかったのだろう。これもまたレントゲンの面白さ。
▼レントゲン Wilhelm Conrad Röntgen 1845年3月27日 - 1923年2月10日
ドイツの物理学者
【人物】父親は織物商。裕福な家庭の一人息子として育つ。
【教育】1865(20) チューリッヒ工科大学の機械工学科入学。
1868(23) 機械技師免状を取得。
1869(24) チューリッヒ工科大学で博士。テーマは『種々の気体の熱的性質に関する研究』。博士指導教員はクント。
【活動/業績】1870(25) ヴュルツブルク大学でクントの助手。
1872(27) ストラスブール大学でクントの助手。独立して研究を開始。
1874(29) 大学教授資格を取得。
1876(31) ストラスブール大学で助教授。
1879(34) ギーセン大学で物理学教授。
1888(43) ヴュルツブルク大学で教授。
1894(49) ヴュルツブルク大学で学長。
1895(50) 放電管の実験を開始。7週間、集中的に実験した結果、X線を発見。ジーメンス製の真空管を使用したほか、ヒットルフ管、クルックス管、レーナルト管も試した。
1900-20(55-75) ミュンヘン大学で実験物理学教授。
1901(56) 第一回のノーベル物理学賞受賞(X線の発見)。賞金を全額ヴュルツブルク大学に寄付。
【ネットワーク】
ケリカー Rudolf Albert von Kölliker 1817年7月6日 - 1905年11月2日 スイスの解剖学者・生理学者。レントゲン写真の手のモデル。▼X線をレントゲンと呼んだレントゲンの同僚。
ヒットルフ Johann Wilhelm Hittorf 1824年3月27日 - 1914年11月28日 ドイツの物理学者。▼1859(35) ヒットルフ管を製作した。
クルックス William Crookes 1832年6月17日 - 1919年4月4日 イギリスの化学者・物理学者。▼1875(43) クルックス管を発明した。
クント August Adolf Eduard Eberhard Kundt 1839年11月18日 - 1894年5月21日 ドイツの物理学者。1866(27) 音波を可視化するクント菅を発明。▼レントゲンの指導教員。
レーナルト Philipp Eduard Anton von Lenard 1862年6月7日 - 1947年5月20日 ドイツの物理学者。1905(43) ノーベル物理学賞受賞(陰極線に関する研究)。▼1888(26) レーナルト管を製作。
マックス・フォン・ラウエ Max Theodor Felix von Laue 1879年10月9日 - 1960年4月24日 ドイツの物理学者。▼1910年にミュンヘン大学に着任したレントゲンと同僚。1912(33) X線回折像を撮影。X線が電磁波であることを明らかにした。1914年ノーベル物理学賞受賞(結晶によるX線回折現象の発見)。
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〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/Wilhelm_R%C3%B6ntgen
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