1906、ハーバー・ボッシュ法~ボッシュ(独):アルケーを知りたい(715)

今回は化学。

ハーバー・ボッシュ法:ハーバーが発明したアンモニアの生成法をボッシュが工業化した。

▼ボッシュの苦悩:人として反ナチス、経営者としてナチスに協力。

カール・ボッシュ Carl Bosch 1874年8月27日 - 1940年4月26日
 ドイツの化学者・経営者 
【人物】父親は配線・ガス・水道部品の製造・販売事業者。ロバート・ボッシュは叔父。
【教育】1894(20) ベルリン工科大学で冶金学と機械工学を学ぶ。
1898(24) ライプツィヒ大学で博士。指導教員はウィスリケヌス
【活動/業績】1899(25) 化学メーカーBASFに就職。
1900(26) アンモニア合成の実験を開始。オストヴァルトによる固定窒素製造の特許の追試を担当。再現できず、オストヴァルトと論争になるも、最終的に理由を解明。オストヴァルトは納得し特許を取り下げ。事の成り行きを見ていたBASF幹部がボッシュを信頼する。
1902(28) 工場の実験室で固定窒素製造法の研究を継続。
1909(35) ハーバーがオスミウムを触媒にしたアンモニア合成法を発表ハーバーの研究室を訪問し、実験装置を見学。アンモニアの生成を確認
1911-13(37-39) BASFの仮工場でハーバー・ボッシュ法を実行、1日2トンのアンモニア生産を実現。量産を目指す新工場の建設責任者。
1914-18(40-44) WWI。アンモニア工場を硝酸の生産に切り替える。BASFは政府から硝酸の大量生産を受託。
1918(44) フランスとの間の戦後処理をBASF取締役・ドイツ工業会代表として交渉、まとめる。
1919(45) BASFで取締役会長。工場でストが始まる。
1921(47) 561人の死者を出す爆発事故が発生。以降、人との関わりを避ける。
1925(51) BASFは他の企業とトラストを組み、世界最大の化学企業IGファルベンになる。ボッシュが取締役会長。
1931(57) ノーベル化学賞(高圧化学的方法の発明と開発)。
1933(59) ヒトラーが政権を取る。経済諮問委員会の委員になりヒトラーと面談するも決裂。ユダヤ人の公職追放が始まる。追放されたハーバーに援助する手紙を送る。
1935(61) プランクが主催したハーバーの追悼式に出席。IGファルベンで監査役会長。
1937(63) カイザー・ヴィルヘルム研究所でプランクの後任所長。
1939(65) 理事長を務めるドイツ博物館の式典でナチス政府を批判し、理事長を追われる。

【ネットワーク】
ウィスリケヌス Johannes Wislicenus 1835年6月24日 - 1902年12月5日 ドイツの化学者。▼ボッシュの博士指導教員。

オストヴァルト Friedrich Wilhelm Ostwald 1853年9月2日 - 1932年4月4日 ドイツの化学者。1909(56) ノーベル化学賞(触媒作用、化学平衡および反応速度に関する研究)。▼オストヴァルトが取得したアンモニアの特許製法について、ボッシュと論争。結果、ボッシュが正しいことが判明。オストヴァルトは特許を取り下げる。BASFの幹部が、ボッシュの技術的能力の高さと権威に負けないガッツを評価。

ヒトラー Adolf Hitler 1889年4月20日 - 1945年4月30日 ドイツの政治家。1933-45(44-56) ナチスの総統。▼ボッシュは反ナチス。IGファルベンはナチス政権を産業面で支えた。

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〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/Carl_Bosch

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