1913、特性X線~モーズリー(英):アルケーを知りたい(734)
今回は物理学。
▼特性(または固有)X線:Characteristic X-ray。X線装置では陰極から陽極に電子をぶつけてX線を発生させる。発生するX線は2種類ある。スペクトルが立ち上がる特性X線となだらかなスペクトルを見せる連続X線。陽極の物質を変えたり、電圧を変えることによってX線スペクトルが変わる。大学入試問題にも出てくる。
▼モーズリーのここに注目:特性X線を使った研究でモーズリーの法則を発見。WWIが始まると回りの反対を押し切って軍に入った。軍事研究ではなく、通信技術士官として前線に出た。優秀な頭脳と国を守る行動力を備えた人物。しかし狙撃されて戦死。以後、科学者は前線に出てはならないことになる。敵の狙撃兵はなぜモーズリーを狙ったのか。スコープの中で際立つモーズリーのオーラを認めたのか。
▼モーズリー Henry Gwyn Jeffreys Moseley 1887年11月23日 - 1915年8月10日
イギリスの物理学者
【人物】父親はオックスフォード大学の解剖学教授。母親はチェスのイギリス女性チャンピオン。
【教育】1910(23) オックスフォード大学を卒業。
【活動/業績】1910(23) マンチェスター大学でラザフォードの実験助手。
1911(24) マンチェスター大学で研究助手。オランダの物理学者ブロークが原子番号と電荷が対応するという仮説を発表。
1913(26) エディンバラ大学のバークラが特性X線を発見。リーズ大学でブラッグ父子からX線分光法の技術を習得。オックスフォード大学に移り、化学研究所でブロークの仮説をX線分光法で確かめた。特性X線の波長と原子番号の関係をモーズリーの法則として発表。原子核の陽子数の測定を行った。
1914(27) WWI。イギリス陸軍の王立工兵隊に入隊。
1915(28) 通信技術士官としてトルコのガリポリの前線で従軍。狙撃されて死去。以降、科学者が前線に出ることが禁じられた。
【ネットワーク】
ブローク Antonius Johannes van den Broek 1870年5月4日 - 1926年10月25日 オランダのアマチュア物理学者。▼1911(41)原子番号と電荷の対応を最初に認識。モーズリーが1913年に実験で確かめ、モーズリーの法則として発表。
ラザフォード Ernest Rutherford 1871年8月30日 - 1937年10月19日 イギリスの物理学者・化学者。1908(37) ノーベル化学賞受賞(元素の崩壊、放射性物質の化学に関する研究)。▼モーズリーの師匠のラザフォード(44)はモーズリーの戦死をたいへん悲しんだ。
バークラ Charles Glover Barkla 1877年6月7日 - 1944年10月23日 イギリスの物理学者。1909(32) 元素に固有な波長を持つ特性X線を発見。▼1913(36) 特性X線を発見。モーズリーの法則のおかげで特性X線の物理学的な意義が明らかになる。1917(40) ノーベル物理学賞受賞(元素の特性X線の発見)。
【似顔絵サロン】
〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Moseley
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