1932、コッククロフト・ウォルトン回路~コッククロフト(英):アルケーを知りたい(762)

今回は物理学。

コッククロフト・ウォルトン回路:世界初の粒子加速器。人工的に加速した原子核粒子で原子核変換を起こす装置。

▼コッククロフトのここが面白い:経済力が大きなアメリカに対し、イギリスは経済力は小さいものの物理学の理論では先を行く。原子核を壊す実験をしたいというモチベーションで、低予算の粒子加速器を作り、目的を達成。かつ、ノーベル賞も受賞。コッククロフトは環境に適応してサクセス・ストーリーを作れる力を持っているのが面白い。

コッククロフト John Douglas Cockcroft 1897年5月27日 - 1967年9月18日
 イギリスの物理学者 
【人物】父親は製粉所のオーナー。
【教育/活動】
1914(17) マンチェスター大学に入学。WWIが始まり、士官訓練隊に入隊。
1915(18) イギリス陸軍に入隊。
1918(21) 王立野戦砲兵隊で中尉。
1919(22) WWI終戦。マンチェスター市立工科大学で電気工学を学ぶ。
1920(23) マンチェスター市立工科大学で理学士。
1922(25) マンチェスター市立工科大学で修士。
1924-25(27-28) ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所でカピッツァ(30-31)の助手。ケンブリッジ大学で博士。指導教員はラザフォード(53-54)。
1927(30) キャベンディッシュ研究所のラザフォードの下にウォルトン(24)が参加。
1929(32) ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジで機械科学の監督者。
1932(35) コッククロフト・ウォルトン回路で原子核壊変を観察
1939(42) ケンブリッジ大学で自然哲学のジャクソン教授職。WWIIが始まり補給省で科学研究副局長。
1940(43) MAUD委員会で委員。ティザード・ミッションで訪米。レーダー、近接信管の研究と調達に携わる。
1945(48) WWII終戦。イギリスの原子力利用を推進。
1951(54) ノーベル物理学賞受賞(加速荷電粒子による原子核変換の研究)
1959(62) ケンブリッジ大学チャーチル・カレッジで学長。

【ネットワーク】
カピッツァ Pyotr Leonidovich Kapitsa 1894年6月26日7月8日 - 1984年4月8日 ロシアの物理学者。ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所でラザフォードと10 年以上働いた。1978(84) ノーベル物理学賞受賞(低温物理学における基礎的発明および諸発見)。▼コックロフトが博士課程の時期、カピッツァの助手を務めた。

【似顔絵サロン】















〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/John_Cockcroft

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