1941、液体ヘリウムの理論的研究~ランダウ(露):アルケーを知りたい(773)

今回は物理学。

液体ヘリウムの理論的研究:the movement of superfluid liquid helium。特定の物質が非常に低い温度に冷却されると、特性が急激に変化する。絶対零度より数度高い温度でヘリウムは超流動になり、摩擦なしで流れる。ランダウは超流動を理論的に説明した。

▼ランダウのここが面白い:アインシュタインが講演したとき、聴衆が驚くほどぶしつけな態度で間違いを指摘した。指摘を受けたアインシュタインはしばらく考え込んだ後、聴衆に向かって「今の若い人の指摘は正しい、今までの説明は全部忘れてください」と言った。このエピソードからランダウの特徴(とアインシュタインが何を重視する人物か)が伺える。ランダウはスターリン批判までやっちゃうものだから投獄される。それを先輩のカピッツァが助ける。濃い人間関係の世界で生きた人。

レフ・ランダウ Lev Davidovich Landau 1908年1月22日 - 1968年4月1日
 ロシアの理論物理学者
【人物】父親は石油技術者。ユダヤ人。
【教育/活動】
1927(19) サンクトペテルブルク大学卒業。ヨッフェ物理学技術研究所で磁場中の電子の運動を研究。
1929-31(21-23) ロックフェラー財団の奨学金を得て国外留学。コペンハーゲンの理論物理研究所でボーアの弟子。ケンブリッジ大学でポール・ディラックと共同研究。キャベンディッシュ研究所でピョートル・カピッツァと磁場中の自由電子に関して創造的な議論を行う。スイスではパウリの下で研究。
1932-37(24-29) ハリコフ物理工学研究所で理論物理部長。
1934(26) サンクトペテルブルク大学で博士。
1937(29) モスクワ科学アカデミー物理問題研究所で理論物理部長。
1938(30) スターリンを批判し逮捕・服役。カピッツァが嘆願活動を行い救出。
1941(33) カピツァが発見した超流動液体ヘリウムの動きに量子論を適用。超流動を理論的に説明。
1940~50年代(30代) 原爆・水爆開発プロジェクトに参加。
1950(42) 超伝導現象の基礎理論ギンツブルグ-ランダウ理論を発表。液体ヘリウムに応用される量子フェルミ液体論を展開
1953(45) スターリンの死後、核開発プロジェクトから脱退。
1960(52) リフシッツと共著で『理論物理学教程』を出版。
1962(54) ノーベル物理学賞受賞(凝集系の物理、特に液体ヘリウムの理論的研究)
1968(60) 自動車事故の後遺症のため死去。

【ネットワーク】
ピョートル・カピッツァ Pyotr Leonidovich Kapitsa 1894年6月26日7月8日 - 1984年4月8日 ロシアの物理学者。1978(84) ノーベル物理学賞受賞(低温物理学における基礎的発明および諸発見)。▼スターリン批判で投獄されたランダウを助け出した。

エフゲニー・リフシッツ Evgeny Mikhailovich Lifshitz 1915年2月21日 - 1985年10月29日 ソ連の理論物理学者。▼ランダウの弟子。1960(45) ランダウと共著『理論物理学教程』。

ヴィタリー・ギンツブルク Vitaly Lazarevich Ginzburg  1916年10月4日 - 2009年11月8日 ロシアの物理学者。▼1950(34) 超伝導現象の基礎理論としてのギンツブルグ-ランダウ理論を発表。2003(87) ノーベル物理学賞受賞(超伝導と超流動の理論に関する先駆的貢献)。

【似顔絵サロン】











































〔参考〕
『理科年表2022』
https://en.wikipedia.org/wiki/Lev_Landau

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