松根 東洋城~定型詩でアルケーを知りたい(820)
今回は俳句。
感想 大正天皇から俳句について聞かれたときの答え。俳句について俳句で答えてる!
▼松根 東洋城 まつね とうようじょう 俳人。
【プロフィール】
1878(明治11)年2月25日、東京の築地生まれ。父親は宇和島藩家老。
1895(17) 松山中学で漱石に英語を学ぶ。漱石を師と仰ぐ。旧制一高、東京帝国大学を経て京都帝国大学仏法科卒業。漱石が子規を紹介。『ホトトギス』に参加。
1906(28) 宮内省で式部官、書記官、会計審査官等を歴任。
1910(32) 公務で修善寺に長期逗留。胃潰瘍の漱石を療養に誘う。
1914(36) 大正天皇から俳句について聞かれ「渋柿のごときものにては候へど」と答える。
1915(37) 俳誌『渋柿』を創刊主宰。
1916(38) 『ホトトギス』から離脱。
1919(36) 宮内省を退官。
1952(74) 隠居。
1964(昭和39)年10月28日、死去。86歳。
のどけさに 寝てしまひけり 草の上
武蔵野は 十一月の 欅(けやき)かな
早稲田の夜 急にしぐれぬ 漱石忌
【キーワードと感想】
漱石 松山中学時代に漱石から英語を習ったんだ
子規 漱石から子規を紹介されたんだ
【ネットワーク】
夏目 漱石 なつめ そうせき 1867年2月9日 - 1916年12月9日 東京出身の小説家・俳人。1910年、東洋城が仕事で長期滞在する伊豆・修善寺に漱石を療養に誘う。43歳の漱石が「修善寺の大患」を起こしたのはこの時。
正岡 子規 まさおか しき 1867(慶応3)年10月14日 - 1902年9月19日 松山出身の俳人。
【似顔絵サロン】
〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%A0%B9%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E5%9F%8E
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