久保田 万太郎~定型詩でアルケーを知りたい(834)

今回は俳句。

神田川 祭の中を ながれけり
感想 うますぎる句を作るヤな人だねと思った。けど、『春燈』創刊の序文を見て良い心持ちの人だね、と思った。

久保田 万太郎 くぼた まんたろう 俳人。
【プロフィール】
1889(明治22)年11月7日、台東区雷門生まれ。父親は足袋製造。
1907(18) 慶應大学予科のとき東洋城に俳句を師事。
1911(22) 慶應大学本科に進学。小説や戯曲を『三田文学』で発表。
1914(25) 慶應大学文学科を卒業。
1916(27) 傘雨の号で俳句を再開。
1919-26(30-37) 慶應大学で作文講師。戯曲や小説を発表。
1926-33(37-44) 日本放送協会で演劇科長、音楽課長、文芸課長。
 あきかぜの ふきぬけゆくや 人の中
1937(48) 劇団文学座を結成。竹馬や いろはにほへと ちりぢりに
 太田 道灌小机は先ず手習いのはじめにて、いろはにほへとちりぢりになる
1945(56) 空襲で家財を焼失。
1946(57) 俳句誌『春燈』を創刊主宰。「いくら苦しくなつても、たとへば、夕霧の中にうかぶ春の灯は、われわれにしばしの安息をあたへてくれるだらう
1958(69) 叱られて 目をつぶる猫 春隣 『流寓抄』
1963(昭和38)年5月6日、慶應大学病院で死去。74歳。

【キーワードと感想】
雷門生まれ バリバリの江戸っ子。

【ネットワーク】
松根 東洋城 まつね とうようじょう 1878(明治11)年2月25日 - 1964(昭和39)年10月28日 俳人。漱石の弟子。渋柿の 如きものにては 候へど ▼東洋城は万太郎の師匠。

安住 敦 あずみ あつし 1907年7月1日 - 1988年7月8日 俳人。芹をつみ来し妻の手が夜はにほふ ▼1946(39)年、万太郎(57)春燈を創刊。「花鳥とともに人生があり、風景のうしろに人生がなければつまらない」 

太田 道灌 おおた どうかん 1432(永享4)年 - 1486(文明18)年8月25日 江戸城を築城した武将。▼いろはにほへと ちりぢりにのフレーズの先達

【似顔絵サロン】











































〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E4%BF%9D%E7%94%B0%E4%B8%87%E5%A4%AA%E9%83%8E

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