内藤 丈草~定型詩でアルケーを知りたい(856)

今回は俳句。

蚊帳を出て 又障子あり 夏の月
感想 蚊帳は夏、障子は冬、夏の月、3対2で夏の勝ち。

内藤 丈草 ないとう じょうそう 俳人・蕉門十哲の一人
【プロフィール】
1662(寛文2)年、愛知県犬山市生まれ。父親は武士。
1676(14) 武士・俳諧師の寺尾直竜に仕える。
1680(18) 名古屋で穂積元庵に漢学を学ぶ。
1688(26) 出家。奥の細道の旅から帰った芭蕉と出会う。芭蕉の依頼で『猿蓑』の跋を執筆。
1693(31) 芭蕉の拠点、滋賀大津の義仲寺無名庵で暮らす。
1694(32) 芭蕉が死去。「骸は木曽塚に送るべし」の遺志で義仲寺に埋葬。
 木曽殿と背中合わせの寒さかな(島崎又玄)
1695(33) 義仲寺に仏幻庵を結び、大行脚や経塚建立を担う。
 大はらや蝶の出てまふ朧月
1704(元禄17)年3月29日、仏幻庵で死去。42歳。

【キーワードと感想】
義仲寺無名庵 義仲寺は滋賀県大津市にある寺。無名庵は寺の別名。木曾義仲の墓がある。

【ネットワーク】
木曾(源) 義仲 みなもと の よしなか 1154(仁平4、久寿元)年 - 1184(治承8)年3月4日 武将。源頼朝の軍勢に討たれた。▼墓所は滋賀県大津市の義仲寺。芭蕉は義仲寺が好きで滞在や句会の開催に使用。芭蕉の遺言で墓所は義仲寺。丈草ら蕉門のメンバーが管理。

各務 支考 かがみ しこう 1665(寛文5)年 - 1731(享保16)年3月14日 俳諧師・蕉門十哲の一人。▼芭蕉の遺書を代筆。「骸は木曽塚に送るべし」の遺志に従い、亡骸を丈草がいる義仲寺に埋葬。

【似顔絵サロン】
















〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E8%97%A4%E4%B8%88%E8%8D%89

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