大田 南畝~定型詩でアルケーを知りたい(865)

今回は狂歌。

月をめづる 夜のつもりてや 茶屋のかかも ついに高田のばばとなるらん
感想 これは南畝が高田馬場の茶屋で行った観月会での歌。「高田のばば」と言って遊ぶのは、伝統なのだった。

大田 南畝 おおた なんぼ 狂歌師・御家人
【プロフィール】
1749(寛延2)年4月19日、江戸の牛込生まれ。父親は下級武士。
1764(15) 歌人の内山椿軒に師事、国学・漢学・漢詩・狂詩を学ぶ。
1766(17) 御徒見習。
1767(18) 漢学者の松崎観海に師事。狂詩集『寝惚先生文集』。
1769(20) 四方赤良と号し「四方連」で狂歌会を開催。
1780(31) 蔦屋重三郎の書店から黄表紙『嘘言八百万八伝』を出版。
 山東京伝(19)と知り合う。
1787(38) 寛政の改革が始まる。
 世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶといひて夜もねられず
1792(43) 新設の学問吟味登科済に首席合格。
1796(47) 支配勘定。
1801(52) 大坂銅座に赴任。
1823(文政6)年5月16日、転倒が元で死去。74歳。
 今までは人のことだと思ふたに俺が死ぬとはこいつはたまらん

【キーワードと感想】
狂歌 社会風刺、皮肉、滑稽を盛り込んだパロディ形の和歌。

寛政の改革 松平定信が江戸幕府の老中だった1787年~1793年に行われた幕政改革。

【ネットワーク】
田沼 意次 たぬま おきつぐ 1719(享保4)年9月11日 - 1788(天明8)年8月25日 旗本、大名、江戸幕府老中。▼第9代将軍徳川家重と第10代将軍家治のもとで側用人と老中を兼任。1767~86年の間、商人文化が花開く田沼時代。

蔦屋 重三郎 つたや じゅうざぶろう 1750(寛延3)年2月13日 - 1797(寛政9)年5月31日 出版プロデューサ・書店経営者。▼蔦屋は太田南畝の著作を出版して世に送り出した。

松平 定信 まつだいら さだのぶ 1759(宝暦8)年1月25日 - 1829(文政12)年6月14 大名、老中。徳川吉宗の孫。憂国の心あるべし、憂国の語あるべからず ▼第11代将軍・徳川家斉のもとで老中首座・将軍輔佐。1787~93年の間、寛政の改革を行った。

山東 京伝 さんとう きょうでん 1761(宝暦11)年9月13日 - 1816(文化13)年10月27日 浮世絵師、戯作者。▼19歳で蔦屋や太田南畝と知り合って交流を重ねる。

【似顔絵サロン】
























































〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%94%B0%E5%8D%97%E7%95%9D

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