都々逸坊 扇歌~定型詩でアルケーを知りたい(866)

今回は都都逸。

たんと売れても売れない日でも 同じ機嫌の風車
感想 こういう冴えておしゃれな言葉を見るとあれこれと語りたくなる。けど語るのは野暮って感じる。・・・そうか、歌えば良いのか。

都々逸坊  扇歌 どどいつぼう せんか 寄席芸人・都々逸の祖
【プロフィール】
1804(文化元)年、常陸国(茨城県)生まれ。父親は医師。
1811(7) 病気のため失明。
1821(17) 「よしこの庵山歌」の名で門付の三味線弾きになる。
1824(20) 江戸に出て落語家に弟子入り。
 都々逸坊扇歌と改名。江戸牛込の寄席を中心に活動。
 都々逸をはじめとした唄・三味線の芸。江戸一番の人気芸人になる。
 親がやぶならわたしもやぶよ やぶに鶯鳴くわいな
 白鷺が 小首かしげて二の足踏んで やつれ姿の水鏡
 諦めましたよどう諦めた 諦め切れぬと諦めた
 潮時やいつかと千鳥に聞けば わたしゃ立つ鳥波に聞け
1852(嘉永5)年10月29日、常陸府中で病のため死去。
 都々逸も うたいつくして三味線枕 楽にわたしはねるわいな

【キーワードと感想】
都都逸 江戸末期、都々逸坊扇歌が創り出した7-7-7-5 の口語定型詩。
 立てば芍薬 坐れば牡丹 歩く姿は 百合の花
 散切り頭を 叩いて見れば、文明開化の音がする
 あの人の どこがいいかと 尋ねる人に どこが悪いと 問い返す

【ネットワーク】
藤田 東湖 ふじた とうこ 1806年5月4日 - 1855年11月11日 水戸藩士。水戸学の大家。尊王攘夷派の思想的な基盤。▼扇歌が20歳で江戸に出る前、扇歌の後援者は、東湖を経済的に支援していた人物だった。同じ人物から扇歌と東湖が支えられた点が共通。

【似顔絵サロン】

















〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E3%80%85%E9%80%B8%E5%9D%8A%E6%89%87%E6%AD%8C

コメント

このブログの人気の投稿

大伴旅人の万葉集459番歌~アルケーを知りたい(1092)

大伴旅人の万葉集876-879番歌~アルケーを知りたい(1117)

大伴旅人の万葉集577番歌~アルケーを知りたい(1097)