木下 勝俊~定型詩でアルケーを知りたい(867)

今回は和歌。

よしあしを人の心にまかせつつ そらうそぶきてわたるよの中
感想 この諦観、素晴らしい。

木下 勝俊 きのした かつとし 大名、歌人
【プロフィール】
1569(永禄12)年、?生まれ。父親は秀吉一門で筆頭格の大名。
 幼少から豊臣秀吉に仕える。
1588(19) 豊臣姓を下賜。
1590(21) 小田原征伐に参陣。
1600(31) 会津征伐の五大老筆頭。徳川家康の命で伏見城守備
 関ケ原の戦いの開始と同時に京都に移動。
1608-40(39-71) 京都東山に挙白堂を建て隠棲。和歌を詠む。
1649(慶安2)年7月24日、京都西京区の庵で死去。80歳。
 あらぬ世に身はふりはてて 大空も袖よりくもる初しぐれかな
 身のほどを忘れてむかふ山桜 花こそ人を世にあらせけれ
 身の上を何と抜かりて今日はまた 火宅を出でぬ仏なるらむ

【キーワードと感想】
伏見城の戦い 1600年8月26日から9月8日まで行われた関ヶ原の戦いの前哨戦。

【ネットワーク】
長岡 幽斎 ながおか ゆうさい / 細川 藤孝 ほそかわ ふじたか 1534(天文3)年6月3日 - 1610(慶長15)年10月6日 武将、戦国大名、歌人。肥後細川家の礎。三条西実枝から一子相伝の秘事・古今伝授を受け近世歌学を大成。実枝の孫の実条に古今伝授を伝えた。弟子に上杉謙信がいる。いにしへも今もかはらぬ世の中に こころの種を 残す言の葉 ▼勝俊の和歌の師匠。

山鹿 素行 やまが そこう 1622(元和8)年9月21日 - 1685(貞享2)年10月23日 儒学者、軍学者。凡そ君臣の間は他人と他人の出合にして、其の本に愛敬すべきゆゑんあらず ▼素行は勝俊に私淑。

【似顔絵サロン】




























〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E4%B8%8B%E5%8B%9D%E4%BF%8A

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