徳川 光圀~定型詩でアルケーを知りたい(870)

今回は和歌。

荒磯の岩にくだけてちる月を 一つになしてかへる波かな
感想 無秩序と秩序の繰り返しから、秩序が見える場面を選んだ。水戸黄門の性格らしい、と思ってしまう。

徳川 光圀 とくがわ みつくに  常陸水戸藩の第2代藩主 水戸黄門
【プロフィール】
1628(寛永5)年7月11日、茨城県水戸市、家臣・三木之次の屋敷生まれ。父親は水戸徳川家当主・徳川頼房。
1632(4) 水戸城に入城。
1633(5) 江戸小石川の藩邸で世子教育。
1634(6) 江戸城で家光に拝謁。
1636(8) 元服、光国と名乗る。
1657(29) 『大日本史』の編纂開始。
1662(34) 水道設置。
1665(37) 明の遺臣・朱舜水を招く。水戸学の開祖。
1679(51) 光圀に改める。
1690(62) 幕府が隠居を許可。契沖が万葉集の注釈書『万葉代匠記』完成。
1696(68) 出家。
1701(元禄13)年1月14日、食欲不振の結果、死去。73歳。
 夕立の風にきほひて鳴る神の ふみとどろかす雲のかけ橋
 もろともに見しその人の形見ぞと 思へば思へば月もなつかし
 時鳥なれも独りはさびしきに 我をいざなへ死出の山路に

【キーワードと感想】
大日本史 日本の歴史書。徳川光圀が開始。光圀の死後は水戸藩の事業として継続。明治時代に完成。

水戸学 水戸藩で『大日本史』の編纂を通じて作られた学問。特徴は尊王攘夷思想。明治維新の時期、思想的拠り所となった。

【ネットワーク】
朱 舜水 しゅ しゅんすい 1600(万暦28)年11月17日 - 1682(天和2)年5月24日 明の儒学者。▼1665年、光圀が招聘。

佐々 宗淳 さっさ むねきよ 1640(寛永17)年6月24日 - 1698(元禄11)年7月10日 僧、儒学者。光圀に仕えた。▼物語『水戸黄門』の助さん=佐々木助三郎のモデル。

安積 澹泊 あさか たんぱく 1656(明暦2)年12月28日 - 1738(元文2)年1月29日 儒学者。水戸を代表する学者。朱舜水の弟子。『大日本史』の編纂。▼物語『水戸黄門』の格さん=渥美格之進のモデル。

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〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%85%89%E5%9C%80

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