賀茂 真淵~定型詩でアルケーを知りたい(872)

今回は和歌。

神な月 けふも時雨の晴れにけり曇りにけりと 言ひて暮らしつ
感想 ことしの文月 毎日暑い暑いと 言うて暮らした。

賀茂 真淵 かもの まぶち 国学者、歌人
【プロフィール】
1697(元禄10)年4月24日、静岡県浜松市生まれ。父は農家。
1707(10) 荷田春満の弟子・杉浦国頭の下で手習い。
1727-36(30-39) 京都に移り荷田春満の下で学ぶ。
1736(39) 浜松に戻る。
1737(40) 江戸に移り、国学の先生。
1746(49) 田安徳川家の和学御用掛となり徳川宗武に仕える。
1763(66) 本居宣長(33)と会う。レッスンを行う。
 門下生:本居宣長、加藤千蔭、村田春海、塙保己一ほか
1769(明和6)年11月27日、江戸で死去。72歳。
 甘らにを 喫らふるかねや 一杯二杯
 ゑらゑらに 掌うちあぐるかねや 三杯四杯
 言直し こころ直しもよ 五杯六杯
 天足らし 国足らすもよ 七杯八杯  (美酒の歌)

【キーワードと感想】
ますらをぶり 男性的でおおらかな歌風。賀茂真淵が和歌の理想とした。

たおやめぶり 女性的で、優美・繊細な歌風。万葉集の「ますらおぶり」と対義。

からくにぶり 仏教や儒教の影響を受けた古語。

【ネットワーク】
杉浦 国頭 すぎうら くにあきら 1678(延宝6)年9月27日 - 1740(元文5)年6月27日 国学者、歌人。浜松諏訪神社の神主。師は荷田春満。▼国頭は、賀茂真淵の手習いの師匠。

荷田 春満 かだの あずままろ 1669(寛文9)年2月3日 - 1736(元文元)年8月8日 国学者・歌人。国学の四大人の一人・国学の祖。姪の夫が国頭で、春満の門下生でもある。はてはいさ始めもしらぬ天の原 ただ大空と見て仰ぐのみ ▼春満は賀茂真淵の国学の師匠。

徳川 宗武 とくがわ むねたけ 1716正徳5年1月21日 - 1771明和8年7月15日 武士・歌人・国学者。第8代将軍徳川吉宗の次男。田安家初代当主、田安 宗武。第9代将軍徳川家重は異母兄。松平定信の実父。武蔵野を人は広しとふ 吾はただ尾花分け過ぐる道とし思ひき ▼宗武は賀茂真淵の主人にして弟子。

本居 宣長 もとおり のりなが 1730(享保15)年6月21日 - 1801(享和元)年11月5日 国学者・文献学者・言語学者・医師。しき嶋のやまとごころを人問はば 朝日にほふ山ざくら花 ▼門下生。

加藤 千蔭 かとう ちかげ 1735(享保20)年4月1日 - 1808(文化5)年10月21日 国学者・歌人・書家。わたの原やや明けそめて磯山の花と波との色ぞわかるる / 大御門ひらく鼓の音すみてみ橋の霜に月ぞうつろふ ▼県門(賀茂真淵)の弟子で特に優れた四天王の一人。

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〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E7%9C%9F%E6%B7%B5

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