天智天皇 / 中大兄皇子~百人一首でアルケーを知りたい(888)
▼秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露に濡れつつ 1
感想 この歌の詠み手、天智天皇すなわち中大兄皇子は、中臣鎌足すなわち藤原鎌足と大化の改新を押し進めた日本史上のイノベータ。大化の改新で日本という国名が定まった。この「秋の田」は、「日本」を始めた人物の歌。この歌が百人一首の1番歌になっているのに納得。
626推古天皇34年 - 672天智天皇10年1月7日
舒明天皇の第二皇子、第38代天皇。
645(19) 蘇我入鹿(?)を中臣鎌足(31)と暗殺。乙巳の変。大化の改新を開始。
660(34) 水時計を採用。
663(37) 百済復興を目的とした白村江の戦いで敗戦。以後、国土防衛強化のため烽火・防人を設置。
668(42) 第38代天皇に即位。
670(44) 日本で初めての戸籍の作成事業を開始。
671(45) 水時計で計った時刻を鐘で大津宮に伝える時報を開始。6月10日が「時の記念日」。
672天智天皇10年1月7日、病気で死去。46歳。
701大宝元年、大宝律令完成。広義での大化の改新の終了。
【キーワードと感想】
乙巳の変 いっしのへん。中大兄皇子と中臣鎌足が中心となり、蘇我入鹿を斬り殺した事案の名称。時期は645年、場所は奈良県明日香村にあった皇極天皇の皇居、飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)。
大化の改新 たいかのかいしん。645年の乙巳の変に始まる一連の国政改革。期間は、狭義には650年まで、広義には701年の大宝律令完成まで。その結果、①豪族中心の政治から天皇中心の政治へシフトした。②「日本」という国号と「天皇」という称号が定まった。③日本初の元号「大化」が始まった。
白村江の戦い はくそんこうのたたかい。日本・百済遺民連合軍と唐・新羅連合軍の戦争。時期は663年、場所は朝鮮半島錦江河口付近の白村江。
水時計 みずどけい。サイフォンの原理で階段状の水槽に水を滴り落とし水面の高さの変化で時をはかる時計。天智天皇が水時計で時報を始めたと『日本書紀』にある。時期は671年6月10日。
【ネットワーク】
蘇我 入鹿 そが の いるか 豪族
? - 645皇極天皇4年7月10日
父親 蘇我蝦夷 そがのえみし
教育 学問堂で学び、並ぶ者なしの秀才。
642(?) 皇極天皇が即位、国政を司る。
643(?) 斑鳩宮の山背大兄王を襲撃。大兄王は自決。
入鹿が最高権力者となり、国政を司る。
入鹿と中大兄皇子(天智天皇)は皇位継承や政治方針で対立。
645皇極天皇4年7月10日、皇極天皇の御前で中大兄皇子、中臣鎌足から殺害される。蝦夷は自害。蝦夷と入鹿の一族は皆殺し。乙巳の変。
藤原 鎌足 ふじわら の かまたり / 中臣 鎌足 なかとみ の かまたり
614推古天皇22年 - 669天智天皇8年11月14日 貴族・政治家。
父親 中臣御食子。
教育 学問僧の下で儒教を学ぶ。入鹿と並ぶ秀才。
644(30) 祭官就任を辞し、蘇我氏体制打倒を目指す。中大兄皇子を擁立し、腹心となる。
645(31) 中大兄皇子(19)と共に蘇我入鹿を殺害。乙巳の変。以後、軍事と外交を担当。大化の改新を推進。
663(49) 白村江の戦いで敗北。死ぬまで軍事的・外交的敗北の責任を抱え続ける。
669(55) 御猟中に落馬、重症。天智天皇が見舞い。「藤原」の姓を賜わり「藤原氏」の始祖となる。死去。
【似顔絵サロン】
〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%99%BA%E5%A4%A9%E7%9A%87
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