源融~百人一首でアルケーを知りたい(898)
▼陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに みだれそめにし 我ならなくに 14
感想 14番は、源融が河原左大臣の名前で詠んだ和歌。しのぶもぢずりは、草木染の模様のことを言うようだ。とても都会的な歌の気がする。よく分からんが。
822(弘仁13)年 - 895(寛平7)年9月17日 73歳。
平安時代初期~前期の貴族。嵯峨天皇の第十二皇子。
小倉百人一首では河原左大臣。光源氏のモデル(?)。
838(16) 元服。839(17) 侍従。
851(29) 公卿。武官。
856(34) 参議。
870(48) 大納言。
872(50) 左大臣。
876(54) 陽成天皇、藤原基経の体制。自宅に引籠。
891(69) 宇多天皇の下で太政官。
けふ桜しづくに我が身いざ濡れむ 香ごめにさそふ風の来ぬまに
ぬしやたれ問へどしら玉いはなくに さらばなべてやあはれと思はむ
家に行平朝臣まうで来たりけるに、月のおもしろかりけるに、酒などたうべて、まかりたたむとしけるほどに
照る月をまさ木のつなによりかけて あかず別るる人をつながむ
行平の返歌:限りなき思ひの綱のなくはこそ まさきの葛かづらよりもなやまめ
【キーワードと感想】
光源氏 ひかるげんじ。紫式部の物語『源氏物語』の主人公。
朝臣 あそん。684年に制定された八色の姓(やくさのかばね)の上から二番目。 皇族以外の臣下の中で最上位。
八色の姓 やくさのかばね。天武天皇が684年に制定した八つの姓。真人、朝臣、宿禰、忌寸、道師、臣、連、稲置。
【ネットワーク】
嵯峨天皇 さがてんのう 786延暦5年10月3日 - 842承和9年8月24日 第52代天皇。
在原 行平 ありわら の ゆきひら 818(弘仁9)年 - 893(寛平5)年9月6日 平安初期~前期の公卿・歌人。阿保親王の次男。小倉百人一首では中納言行平。百人一首16:たちわかれ いなばの山の峰におふる 待つとし聞かば いま帰りこむ
宇多天皇 うだてんのう 867貞観9年6月10日 - 931承平元年9月3日 第59代天皇。
【似顔絵サロン】
〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E8%9E%8D
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tohoru.html
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