紀 貫之~百人一首でアルケーを知りたい(918)
▼人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける 35
感想 この和歌は、貫之が久々に訪ねた宿の主人とのやりとりから生まれた作品。その場の粋な会話が和歌になって千年を超えて輝き続ける。この和歌も貫之の有名フレーズ「やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」の具体例!と見た。
866(貞観8)年 - 945(天慶8)年6月30日。79歳。
貴族・歌人。三十六歌仙の一人。友則は従兄。
主君:醍醐天皇→朱雀天皇
905(39) 醍醐天皇の命で初の勅撰和歌集『古今和歌集』を紀友則・壬生忠岑・凡河内躬恒と共に撰上。仮名序「やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」を執筆。
907(41) 宇多上皇の大井川行幸時、歌や序を供奉。
930(64) 土佐守。醍醐天皇の勅命で『新撰和歌集』を編纂。
935(69) 帰洛。後に『土佐日記』を執筆。
雪を散る花に見立てました
霞たちこのめも春の雪ふれば 花なきさとも花ぞちりける
散る桜を空の波に見立てました
さくら花ちりぬる風のなごりには 水なき空に波ぞたちける
貫之の辞世
手にむすぶ水にやどれる月影の あるかなきかの世にこそありけれ
【キーワードと感想】
新撰和歌集 しんせんわかしゅう。貫之が土佐国に赴任している間に完成させた私撰和歌集。
土佐日記 とさにっき。日本最古の日記文学のひとつ。「をとこもすなる日記といふものを をむなもしてみんとてするなり」。貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った。
【ネットワーク】
紀 友則 き の とものり 845(承和12)年 - 907(延喜7)年 平安時代前期の官人・歌人。貫之の従兄。三十六歌仙の一人。百人一首33:久方の ひかりのどけき 春の日に しづ心なく 花のちるらむ
藤原 兼輔 / 中納言兼輔 ふじわら の かねすけ 877(元慶元)年 - 933(承平3)年3月16日 平安中期の公家・歌人。三十六歌仙の一人。醍醐天皇の勅命で『新撰和歌集』を編纂するよう貫之に伝達した。百人一首27:みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ
藤原 師輔 ふじわら の もろすけ 909延喜8年1月11日 - 960天徳4年5月31日 平安時代前期~中期の公卿・歌人。藤原忠平の次男。父に借りた正月用の魚袋を返すとき、一緒に添える和歌を貫之に作ってもらった。
【似顔絵サロン】
〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E8%B2%AB%E4%B9%8B
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/turayuki.html
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