源 等~百人一首でアルケーを知りたい(921)
▼浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど あまりてなどか 人の恋しき 39
感想 この和歌は等さんが「篠原」のしのと「忍ぶ」のしのをかけて作ったのは分かった。等さんが参議になったのは67歳。
880元慶4年 - 951天暦5年4月18日 71歳。
平安時代前期から中期の公卿。父親は源希。
主君 醍醐天皇→朱雀天皇→村上天皇
899(19) 近江権少掾。
905(25) 大蔵少輔。
916(36) 内匠頭。
922(42) 大蔵大輔。
929(49) 主殿頭。
937(57) 弾正大弼。
940(60) 兼勘解由長官。
947(67) 参議。
東路の佐野の舟橋かけてのみ思ひわたるを知る人のなき
【キーワードと感想】
浅茅生 あさぢふ。浅茅という植物が生えている場所。
小野の篠原 細く小さい竹が映えている野原。
舟橋 多くの船を並べ、その上に板を渡して橋としたもの。
佐野の舟橋 栃木県の佐野もしくは群馬県高崎の上佐野。中古中世で最も愛好された歌枕のひとつ。元は万葉集の3429番歌「上毛野佐野の舟橋取り放し親は離くれど吾は離るがへ」。世阿弥の謡曲『舟橋』の題材。
【ネットワーク】
本阿弥 光悦 ほんあみ こうえつ 1558(永禄元)年 - 1637(寛永14)年2月27日 江戸時代初期の風流人。書家、陶芸家、蒔絵師、芸術家、茶人。『舟橋蒔絵硯箱』の蓋のデザインに源等の「東路の 佐野の舟橋 かけてのみ 思ひわたるを 知る人ぞなき」を取り入れた。
【似顔絵サロン】
〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%AD%89
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitosi.html
コメント
コメントを投稿