壬生 忠見~百人一首でアルケーを知りたい(923)
▼恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか 41
感想 この歌は天徳内裏歌合での(前回の40番歌との)勝負歌だった、と知ると印象が変わる。判定人はどちらを勝ちするか判断できず困ったという。結局40番の「しのぶれどいろに出でにけり」が勝つ。和歌の人たちは、詠んでは勝負、百人一首のカルタで勝負、どんだけ勝負が好きなんだ?
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平安時代中期の歌人。壬生忠岑の子。三十六歌仙の一人。
953(?) 内裏菊合に出詠。
954(?) 御厨子所定外膳部。
958(?) 摂津大目。
960(?) 村上天皇主催の天徳内裏歌合に参加。左方と右方に分かれて和歌勝負。
12番、テーマは卯花
左方・壬生忠見:みちとほみ人もかよはぬ奥山に さけるうのはなたれとをらまし
右方・平兼盛(勝):あらしのみさむきみやまのうのはなは きえせぬ雪とあやまたれつゝ
15番、テーマは夏草
左方・壬生忠見(勝):夏ぐさのなかをつゆけみかきわけて かる人なしにしげる野辺かな
右方・平兼盛:なつふかくなりぞしにけるおはらぎの もりのしたくさなべて人かる
20番、テーマは恋
左方・壬生忠見:こひすてふわがなはまだきたちにけり ひとしれずこそおもひそめしか
右方・平兼盛(勝):しのぶれどいろに出でにけりわがこひは ものやおもふとひとのとふまで
壬生忠見のエピソード:
参内せよとのお達しがあったときの話。貧しかったので「参内に相応しい支度ができませんけど」と渋ったのに対し「竹馬に乗ってでも参内せよ」との仰せを受けた。で、その返事:
「竹馬は ふしかげにしていと弱し 今夕陰に 乗りて参らむ(竹に節があることから、竹馬はふし鹿毛という毛色で弱いので、今日の夕日かげに乗って参上いたします)」と詠んで奉った。
【キーワードと感想】
天徳内裏歌合 てんとくだいりうたあわせ。村上天皇が960天徳4年4月28日に開催した歌合。準備から会場の設営、演出まで周到に準備。後世の歌合の手本となった。
【ネットワーク】
壬生 忠岑 みぶ の ただみね 860(貞観2)年 - 920(延喜20)年 平安時代前期の官人・歌人。忠見の父親。三十六歌仙の一人。百人一首30:有り明けの つれなく見えし 別れより あかつきばかり 憂きものはなし
村上天皇 むらかみてんのう 926延長4年7月14日 - 967康保4年7月5日 第62代天皇。醍醐天皇の第十四皇子。母は藤原基経女中宮穏子。村上源氏の祖。在位:946天慶9年5月23日 - 967康保4年7月5日
平 兼盛 たいら の かねもり ? - 991(正暦元)年1月16日 平安時代中期の貴族・歌人。三十六歌仙の一人。百人一首40:忍ぶれど色にいでにけりわが恋は物や思ふと人のとふまで
源 延光 みなもと の のぶみつ <画像なし> 927延長5年 - 976天延4年7月16日 平安時代中期の公卿・歌人。代明親王の三男。960(33) 天徳内裏歌合で左方の講師(こうじ:歌を読み上げる役)、壬生忠見の歌を読み上げた。
【似顔絵サロン】
〔参考〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%9F%E5%BF%A0%E8%A6%8B
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tadami.html
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