万葉集巻第十九4211-4213番歌(娘子らが後の標と)~アルケーを知りたい(1574)
▼今回は万葉の中で納得できない歌のひとつ。そもそもなぜそうなった?とか、どうして?とか分からないことが重なる。なぜそうなるか、というと、自分の中にこの歌を理解する回路(短縮して理回路)がないからだろうと思ふ。かといって生成AIに聞く気にならない。家持は読者がこういうモヤモヤした気持ちになるのを承知で載せているのかも。
処女墓の歌に追同する一首 幷せて短歌
いにしへに ありけるわざの
くすばしき 事と言ひ継ぐ
茅渟壮士 菟原壮士の
うつせみの 名を争ふと
たまきはる 命も捨てて
争ひに 妻どひしける
娘子らが 聞けば悲しき
春花の にほひ栄えて
秋の葉の にほひに照れる
あたらしき 身の盛りすら
ますらをの 言いたはしみ
父母に 申し別れて
家離り 海辺に出で立ち
朝夕に 満ち来る潮の
八重波に 靡く玉藻の
節の間も 惜しき命を
露霜の 過ぎましにけれ
奥城を ここと定めて
後の世の 聞き継ぐ人も
いや遠に 偲ひにせよと
黄楊小櫛 しか挿しけらし
生ひて靡けり 万4211
*二人の男に言い寄られた娘子が入水自殺したので黄楊小櫛を土に挿したら黄楊になって緑の葉をなびかせている。
娘子らが後の標と黄楊小櫛 生ひ変り生ひて靡きけらしも 万4212
右は、五月の六日に、興に依りて大伴宿禰家持作る。
*娘子のために後の人が分かるようにと黄楊の小櫛を作ったら、それが黄楊の木になって葉が靡いている。
東風をいたみ奈呉の浦廻に寄する波 いや千重しきに恋ひわたるかも 万4213
右の一首は、京の多比家に贈る。
*東風が激しく吹いて奈呉の浦に何重にもなって打ち寄せて来る波、その波のように恋しく思っています。
【似顔絵サロン】藤原仲麻呂の乱に関係した人々:村国 虫麻呂/武志麻呂 むらくに の むしまろ ? - ? 奈良時代の官人。764年、藤原仲麻呂の乱の後、官位剥奪。
〔参考〕
伊藤博訳注『新版 万葉集四』角川ソフィア文庫。
https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_kanno&dataId=19
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